スラブ・
ユーラシアの今を読む-第4回
上海協力機構:ドゥシャンベ・サミットによせて
岩
下明裕
ユーラシアの「新冷戦」?
2008年8月初頭、北京オリンピック
が世界の注目を集めるなか、衝撃が駆けめぐった。南オセチアに対するグルジアの軍事行動、それに対するロシアの過剰ともいえるグルジア領内への「反撃」。
当初、南オセチアを越えてグルジア領内に突入したロシアの行為を冷静にとらえ、これは「1968年(ソ連軍によるチェコ侵攻)の再現ではない」「冷戦の再
来はない」と自制をみせていた米国のライス国務長官も、南オセチアの「人権擁護と平和」を理由にグルジアに居座り続けるロシアへの非難をヒートアップ。ロ
シア大統領メドヴェジェフも「ロシアは自ら望まないが、冷戦をおそれることはない」と見得を切り、南オセチアやアブハジアの独立承認を宣言。これを受け、
欧米はロシアによる承認の即時撤回を求めると同時に制裁も示唆。冷戦終結後、米ロの緊張がここまで高まったことはない。普段、ロシアに関心を示すことの少
ないワシントンの政策コミュニティも久々にロシアについて真剣に議論を闘わせている。
激しい米ロの言葉の応酬のさなか、ユーラシアが抱える紛争の難しさを日本人に突きつける悲報がアフガニスタンから届いた。日本有数のNGO団体「ペシャ
ワール会」の伊藤和也さんがパキスタン国境に近い村で殺害された。現地住民から絶大な信頼を寄せられていた「ペシャワール会」のメンバーに対する襲撃は、
10年前の1998年7月、隣国タジキスタンの和平活動を支えていた国連政務官秋野豊さんの死を筆者に思い出させた。貢献のあり方は違うとはいえ、秋野さ
んもまた現地の人々から慕われ、尊敬を集めていたからだ。
その伊藤さんの死の悲しみから覚めぬ2008年8月28日、くしくもタジキスタンの首都ドゥシャンベで中央アジア4国(カザフスタン・クルグズスタン・ウ
ズベキスタン・タジキスタン)と中国、ロシアで構成される上海協力機構のサミットが開かれた。世界はこのサミットに大きな関心を寄せた。なぜなら、このサ
ミットはロシアによる南オセチアとアブハジアの独立承認後、最初の本格的な国際会議であり、また上海協力機構がこれまで米国に厳しく、ロシアの利益を代弁
する傾向を有していたからだ(2005年のカザフスタンでのサミットの際、その決議が中央アジアからの米軍撤退を後押ししたことが有名)。果たして上海協
力機構を構成する中央アジア諸国や中国はどのような立場をとったのか。
ロシア外交は失敗だったか
中国はそもそも北京オリンピック期間中
のロシアの派手な軍事行動に、顔に泥をぬられたと不愉快に感じていた。そして、現存している国家の領土保全(国境)を損なう行動が、みずからがかかえるチ
ベットや新疆ウイグルの民族問題に跳ね返ることを懸念していた。「平和的に当事者間で対話を通じて解決せよ」。これが一貫した中国のメッセージだが、ロシ
アが法的にグルジアからの「2国」の独立を認めたことには明らかな不快感を表明した。サミットの前にメドヴェジェフと会談した胡錦涛が、2014年に予定
されているソチ・オリンピックの支持のみを表明したのは、意趣返しの感すらある。
中央アジア諸国の対応はいささか複雑である。カザフスタンのナザルバエフは、西側はグルジアが南オセチアに最初に武力行使を行ったことを忘れているとロシ
アに理解を示しながらも、ロシアによる南オセチアなどへの独立承認には追随しない。カザフスタンの北部には数多くのロシア人が暮らしている。「ロシア人の
人権擁護」によるロシアの武力介入。これは1990年代に中央アジア側が懸念し続けたシナリオである。南オセチアやアブハジアの独立を容易に追認できる状
況にない。国境とそこに暮らす民族のラインが一致しないという点では、他の3国も同様である。例えば、ウズベキスタン、クルグズスタン、タジキスタンは、
フェルガナ盆地を中心に難しい飛び地や民族混住の問題をかかえている。ウズベキスタン西部にはカラカルパクスタンというわずかながら分離独立指向を有する
地域をもち、タジキスタン東端の地区の住民の9割はクルグズ人だったりする。
結果として、ロシアは上海協力機構サミットで、南オセチアやアブハジア独立について、加盟国の支持をとりつけることに失敗した。他方で、ロシアの行動につ
いての理解はかろうじて言質をとり、最低限の面目を保った。ロシアのなかでも評価がわれているようだ。ロシアは上海協力機構の支持を得たとする論調もある
が、「失敗」とする意見も強い。ロシア政府はサミットの「成功」を強調し、他の加盟国がロシアによる独立承認に追随しなかったことに触れ、これはロシアが
どこかの国(米国)と違って、自らの意見を他国に押しつけたりしないからだと強がってはいるが。
しかしながら、欧米のメディアが一般にいうように、これを「ロシアの孤立」というのはまだ早計である。上海協力機構は、そもそもちまたでいわれているよう
な反米機構ではなく、中国や他の加盟国の反応をみれば、そもそもロシアの試みが成功する余地は少なかった。むしろ、真のテストは9月5日に予定されている
集団安全保障機構(CSTO)のサミットだろう。こちらには中国は参加せず、代わりにアルメニア、ベラルーシとロシアにより近い立場を共有する国が加わる
からだ。果たして集団安全保障機構にも所属する中央アジア諸国は、ここでもロシアに抗することができるだろうか。
上海協力機構との新たな関係を構築せよ
上海協力機構に話をもどせば、機構は、
今回「対話パートナー」に関する決議を採択し、昨年のビシュケク・サミットの流れを継承するかたちで、上海協力機構の外の国や国際機構とより強い連携をめ
ざす方向を明確にした。ここで、上海協力機構はアフガニスタンの平和の問題を最重視する。オブザーバー参加した反米で有名なイラン大統領アフマディネジャ
ドでさえ、南オセチア問題ではロシアに同調せず、アフガニスタンについて語った(ただし、内容はNATOの活動を批判するものであったが)。アフガニ
スタン大統領カルザイも引き続きゲストとしてドゥシャンベ・サミットに参加した。逆説的であるが、その反米性を長年、批判され続けてきた上海協力機構は、
今回、ロシアの行動を全面支持しなかったことで欧米諸国との信頼を取り戻し、またアフガニスタンやイランにかかわる問題を重視する姿勢をみせたことで、ロ
シアと欧米をとりもつ枠組としての可能性を提示した。「上海協力機構+α」のフォーマットにより、「対話パートナー」として日米欧と機構のインタ
ラクションを強めよ、とするのが筆者のかねてからの持論だが、この道をさらに推し進めるべきだろう。
今は強硬な姿勢をみせる米国だが、筆者はこの流れが持続するとは思わない。「民主主義」に固執する米国だが、南オセチアとアブハジアについてこれは直接あ
てはまらない(グルジアの「民主主義」にロシアが干渉したとする批判はあるが)。たとえ「民主主義」を語るときでもワシントンの政策集団は物事を利益を中
心に考える。そもそも、ロシアによる南オセチア独立承認は、米国がコソヴォ独立を承認したことから始まる連鎖の一つである。ロシアはコソヴォ独立を承認し
ていないが、米ロ間ではこの問題は「不同意の同意」で凍結されている。そもそも事実上、独立状態にあった南オセチアやアブハジアはロシアからみれば、その
法的追認に過ぎない。ワシントンの一部では事情を理解し、ロシアが元のラインまでグルジアから撤退しさえすれば、この独立承認問題もまた「不同意の同意」
の枠組で処理しうるとの声も出ている。すると問題はそのタイミングということだ。
日本のなすべきこと
日本は、ワシントンの言説をそのまま鵜
呑みにして、追随すべきではない。ワシントンの政策コミュニティは基本的にロシアを「パートナー」と見続けてきた(中国はそうではない)。コソヴォもミサ
イル防衛もあらゆる問題が(ただし、モスクワの反米感情を除いてだが)ロシアとは交渉可能だと、担当の国務次官補はいい続けてきた。ライス国務長官が当
初、ロシアに「寛容」な立場を守ろうとしたのはその発想の延長線上にある。日本はアジアの国として、米国やヨーロッパの利益と異なる部分を明確にして、可
能な範囲で「G7」メンバーとしての共同歩調をとるべきだろう。
アフガニスタンの悲報を冷静に受け止め、日本がかの地でどのような貢献ができるか。米ロの「新冷戦」の言説に惑わされることなく、ユーラシアの地で日本し
かできない貢献のあり方を模索する必要性が高まっている。
(8
月29日記)
岩下明裕(いわした あきひろ)
北海道大
学スラブ研究センター教授
専門は国
際関係。主著に『中・ロ国境4000キロ』(単著、角川選書)など。
*なお、エッセイの内容は、スラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、
筆者個人の見解です。
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(岩下明裕撮影)
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