スラブ・ ユーラシアの今を読む-第5回


身近な外国と進む交流:根室など国境自治体の戦略

田 村慶子   


 10月中旬、東京から1千キロ離れた小笠原諸島で日本島嶼学会が主催する研究交流大会 が開催され、全国から島嶼問題に関わる研究者など約30名が集った。プログラムの目玉はシンポジウム「国境としての小笠原を考える」(日本島嶼学会・北海 道大学スラブ研究センター共催)であった。

 海に囲まれているために普段はほとんど国境を意識することのない島国日本のなかでも、 本土から遠く離れ、外国との国境を意識せざるをえない3つの自治体、根室、与那国、対馬が本土復帰40周年を迎えた小笠原に集まり、それぞれの現状や抱え る問題、将来構想を語った。課題や困難は4者それぞれであっても、率直な意見交換をすることで経験を共有し、今後の戦略に生かそうという試みである。

 「世代越え心に願うは四島(しま)返還」を悲願として掲げる根室市の小田嶋英男総務部 長によれば、北方領土問題が未解決であるために漁業が疲弊して漁業基地として栄えた戦前の面影はもはや皆無で、ロシア船による漁民の拿捕にも苦しんでいる とのこと。そんな困難な状況を打開するために戦略的返還運動として進めているのが、根室を北方領土を含めた広い国境地域の医療拠点として発展させることで あり、「ロシア人重症患者受入れやロシア人の健康診断実施など、日ロ双方にとって利益ある交流を続けていくことが重要。医療を通じた協力は、次の世代に引 き継がれる交流の原点にも転じる可能性がある」と話された。

 日本最西端の与那国島は、八重山合併を拒否して、台湾との交流という独自の発展戦略を 展開していることで注目される自治体である。国の反対に遭いながらも台湾東部の花連市に連絡事務所を置き、チャーター便を運航し、児童生徒の交換ホームス テイも積極的に行っている。花連市連絡事務所代表である田里(たざと)千代基国境交流推進特命事務局長は「ボーダレス世界が来たといいながら与那国はボー ダーに発展を阻害されている。台湾への定期便を飛ばしたいが国の許認可の壁は厚い。それでも台湾経済と一体化しながら発展を目指したい」と熱く語られた。

 釜山の花火大会が見えるほど韓国に近い対馬は、古くから朝鮮半島との往来で栄えた島で ある。しかし戦後の断絶はこの島の経済を直撃した。だが、対馬は今、島の人口をはるかに上回る韓国人観光客で少しずつ賑わいを取り戻しつつある。対馬市役 所総務企画部の玖珠(くす)博一係長は「私たちは釜山400万人と福岡100万人を観光客として呼びたいと思っている。韓国と日本は文化が異なるのだから 文化摩擦があって当たり前。交流することのメリットは広く対馬の住民にも韓国人にも行き渡りつつある」と語ってくださった。

 小笠原村は独自の歴史を持つ。島に初めて住み着いたのが欧米系や南洋系の人々で、その 後に移住してきた日本人などと結婚、多様な人々と文化が息づく島となったものの、1944年の全島民強制疎開などのために、住民としての一体感はまだ乏し いようである。ただ、ここは東京都であり、また国と都と村の施設があって財政的には比較的豊かである。「定期船しかないために様々な不便さはあるが、小笠 原は近くに外国がないので国境自治体という意識はあまりない」でも「他の自治体の話をうかがって、これからはもっと南の島々との交流を盛んにしていきた い」と小笠原総務課長渋谷正昭氏は語っておられた。

 もっとも、シンポジウムのコメンテーターで国境問題に詳しい東海大学の山田吉彦准教授 によれば、日本の排他的経済水域の三分の一を占める小笠原近海では近隣国の潜水艦が出没するなど、国防上の問題が多発しており、小笠原はきわめて重要な位 置にあるとのことであった。

 国境最前線に位置する自治体の熱い想いがシンポジウムで語られた。それは東京に依存す るのではなく、国境に位置することを利用して身近な外国との交流を定着させ、独自の発展を模索しようというオープンでしたたかな発想である。国際化時代を 先取りして生き残ろうとする国境自治体の試みには、学ぶ点が多いだろう。

(『北 海道新聞』2008年11月20日:夕刊)


田村慶子(たむら けいこ)

北九州市 立大学教授

専門は国 際関係論。東南アジア地域研究。科研費基盤研究(A)「ユーラシア秩序の新形成」(代表:岩下明裕)研究分担者。著書に『シンガポールの国家建設』(単 著、明石書店)など。

*なお、エッセイの内容は、スラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、 筆者個人の見解です。


●関連リンク
   小 笠原で国境問題を考える


[研究 員の仕事の前線 indexページに戻る]

SRC Home
Japanese / English