国際ワークショップ
「イスラームと帝国:思想、教育、移動性の複雑な連結」開催される
長
縄宣博
新学術領域研究「ユーラシア地域大国の比較研究」の枠組みで、イスラームと帝国の諸問
題に取り組む研究者間の対話を促進すべく、国際研究集会が1月23、24日に大阪で開催されました。この研究会は、第5班「国家の輪郭と越境」(代表:山
根聡)と第4班「帝国の崩壊・再編と世界システム」(代表:宇山智彦)の共同企画として組織されました(以下、敬称略)。
(プログラムは、http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/rp/group_04/activities/index.html)
従来、旧ソ連地域のイスラーム研究は、個々のエスニック集団がナショナリズムを発揮す
るに至る過程に注目しがちで、彼らのムスリムとしてのアイデンティティが国家との相互関係の中でこそ前景化するという事実を捉えきれていませんでした。そ
の意味で、これまで対話が著しく困難だった他のイスラーム地域の専門家と一緒に、時代と地域に特殊な文脈を踏まえながらも、諸帝国統治下のムスリムが直面
してきた共通の課題について、議論を深められたことは大変貴重でした。
第1セッションの二つの報告は、鮮烈な対照を成していました。中田考(同志社大学)が、地上を遍くイスラーム法の統治で覆うというカリフ制の理念につい
て語ったのに対し、モイヌッディン・アキール(国際イスラーム大学、パキスタン)は、英領インドを「イスラームの家」と正当化せざるをえなかったイスラー
ム指導者の苦悩を描いたからです。議論の中では、前者の実現を目指す「原理主義者」の行動であれ、イギリス統治が正当であるというムスリム間の合意であ
れ、出版物や特定の思想を広める組織(例えばスーフィー教団)といった媒体(エイジェンシー)を論じる必要が感じられました。
第2セッションでは、列強が作り出す世界秩序の中で、まさにその基盤となる制度を利用しながら、中華民国とロシア帝国のムスリムが、自身のネットワーク
を構築し、それを通じて得た知識や経験をローカルな政治に持ち込んでいた様に注目しました。とりわけ、イスラーム教育施設の改革の帰結をどのように評価す
るかをめぐって、議論が白熱しました。ムスタファ・トゥナ(デューク大学、米国)が、意図せざる結果としての世俗化という見方を提起したのに対して、会場
からは、イスラーム的な価値観から社会の変化に適応しようとしていた学者や民衆との絡み合いも議論に含められるはずだという意見がありました。このセッ
ションでは、マイノリティのムスリムの抱く祖国像も重要な論点になりましたが、松本ますみ(敬和学園大学)がここにジェンダーの視点を持ち込むのも有効だ
と提起したことは刺激的でした。
第3セッションは、国境の管理、宗教行政、臣民籍/市民権の拘束力が、ムスリムの移動性に与える様々な作用に光を当てていました。ジェームズ・マイヤー
(モンタナ州立大学、米国)は、ロシア・オスマン帝国国境を行き交うムスリムが二つの臣民籍を操作することで、両国政府から通行の安全を獲得しえた側面を
描きました。その一方で、ムスリムの出身地域の差や重層的な国家機構の分業との関係によっては、移動が困難になる側面にも留意していました。イランがシー
ア派にとどまらないイスラーム教育の国際的な拠点を国内外に築きつつあるという桜井啓子(早稲田大学)の報告に対しては、トルコの宗務局がユーラシアで展
開している事業との比較がなされました。とはいえ、イラン国外のシーア派の人々は、シーア派世界のペルシア語優位やイランの国際政治上での立ち位置に戸惑
いを覚え、かえってイラクのナジャフの宗教権威に惹かれている側面もあるようです。
今回の研究会では、諸帝国の統治やそれらが織り成す世界秩序のあり方を各地のムスリムの目線から描き出すことに重点が置かれました。その半面、帝国側の
統治戦略に関する議論がやや手薄になったかもしれません。とはいえ、イスラーム地域研究と帝国論との対話は、世界的にも始まったばかりであり、今後もこの
ような研究会が続いていくことが期待されます。なお、現在スラブ研究センターに滞在中のベアトリチェ・ペナティ(日本学術振興会外国人特別研究員)による
重厚な会議レポートもありますので、こちらもご参照ください。
●関連リンク
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