1997年点検評価報告書
スティーヴン・コトキン 報告
私は1996年6月1日から1997年3月31日まで、北海道大学スラブ研究センターに外国人研究員として滞在する名誉と歓びに浴した。センターには生
産的な作業のため望外な支援を行っていただいた。この機会を提供してくれた北海道のホスト教官と日本の文部省に厚く感謝する次第である。
この報告書では、1)私自身の年間の活動を報告し、2)センターのインフラストラクチャーと専門的活動についての短評を行い、3)外国人にとっての研究
環境と生活環境について論じたい。
1.私自身の活動について
センター滞在中の主たる研究目標は、『クズネーツク盆地:1500〜2000年のスラブ/内陸アジア・フロンティアにおける帝国と近代』と題する著作の
ための研究とその執筆を行うことであった。
センター到着後、私は自著の中で用いる概念構成の再構築を行ったが、当初はその中では20世紀のみを扱う予定だったのである。この概念構成の再構築は著
作の計画に大きな困難を招来するものであったが、おそらくそれこそが今年の私の最も重要な成果であったとも思われる。1997年1月に行われたセンターの
冬の年次研究会において、私は自著についての報告を行った。手直しの後、この40ページほどの論文は研究会の報告集に掲載されることになっている。
著作に関する作業に加えて、私はいくつかの論文を執筆した。その一つは「1991年とロシア革命史:資料、概念カテゴリー、分析の枠組み」と題する今年
執筆した70ページほどの論文で、『ジャーナル・オブ・モダン・ヒストリー』(刊行地シカゴ)という権威ある雑誌に掲載される予定になっている。また、
「ノーメンクラトゥーラを捜して:昨日のソ連、今日のロシア」と題する50ページほどの論文は広く読まれているワシントンD.C.の週刊誌『ザ・ニュー・
リパブリック』誌に掲載予定である。さらに、北海道大学の紀要『アクタ・スラヴィカ・ヤポニカ』に発表するものとして、「ロバート・カーナーと北東アジ
ア・セミナー」と題する論文を手直した上で付託してある。1996年6月のスラブセンターの年次研究会での私のコメントもその会議の報告集の中に収められ
て公刊される予定である。
すでに着手されているもので、北海道を離任した後にすぐに完了する予定の仕事としては、刊行予定の『政治革命エンサイクロペディア』に収録する「ソ連:
共産主義の崩壊と消滅(1989-1991)」と題する長文の論文がある。また、『ロシアン・レヴュー』誌には「福祉事務所へ」と題する解説的論文を執筆
している。
さらにセンター滞在中に、私は世界史の共著の教科書用に(中世と徳川期の日本、モンゴル帝国、モスクワ国家に関する)いくつかの章のある部分を執筆し
た。さらに、私は『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されたものを含む多くの書評を執筆した。
外国人研究者としての滞在期間中、私はセンターの2回の大きなシンポジウムの両方で報告と討論を行い、また1996年11月に個別の講演も行った。ま
た、センターの主催するほとんど全て招待講演の報告にも出席した。加えて、道外のシンポジウムや研究会でもいくつかの報告を行っている。
1996年10月には、韓国で二つの講演を行った。一つはウォンジュのヨンセイ大学での「1990年代のロシアと今後」、今一つはソウルのヨンセイ大学
での「1991年のロシアに革命は存在したか」である。またソウル国立大学とエーワ女子大学では研究者と会合を持った。1996年11月には、名古屋の
フェリス大学で非公式ではあるが、「ニューヨーク、モスクワ、東京の比較に見る、文化的な力の本性についての文化講座」という報告を行っている。1997
年の1月にはニューヨーク市で行われたアメリカ歴史学協会の年次会合に出席した。1997年の2月には、共産主義崩壊後のソヴィエト史理解について、東京
でロシア史研究会において報告を行った。
その他にもいくつかの講演や、ドイツ、フランス、アメリカでの学術会議へ招待されていたが、センターの厳格な旅行日数の制限のため辞退せざるをえなかっ
た。
2.スラブ研究センターの印象
私のような歴史学者にとって、スラブ研究センターの大きな財産は図書室である。図書室とその有能なスタッフがなければ、自分がしようと思ったこと、特に
来訪後の著作計画における概念構成の再構築をなし遂げることは決してできなかっただろう。コレクションの豊富さやそのコレクションをさらにより良いものに
いてゆく努力にも極めて好ましい印象を受けた。書籍、雑誌、新聞の購入に巨額の予算が投じられており、あらゆる試みによって新たに受け入れられた資料の分
析が進められていくはずである。
プリンストン大学でロシア研究の責任者をしているため、ヨーロッパ、アメリカを問わず、複数の大学や研究所で客員研究員や講演者をしてきており、日本で
も(東京大学に1992年〜93年まで)外国人客員研究者としてすでに丸一年を過ごしてきた。また、日本語でも最低限のコミュニケーション能力があるた
め、日本での学究生活に一定の親近感を得ていると同時に、スラブ研究センターの活動を評価する上で比較対象を行うための確固たる基盤を持っていると感じて
いる。言い換えれば、おそらく研究スタッフの能力や、センターの刊行物の質と量、国際学術会議、進行中の重点領域研究プロジェクト、センターの全般的な組
織構成、予算が使われた結果としての総合的なアウトプットについて、いくらでも感想を述べたてることができる。しかしながら、そうした細かい評価をするか
わりに、ここでは一つだけ、だが私が極めて重大と考える意見を述べさせていただきたい。
私の滞在期間中、センターのほとんど全てのメンバーから(センター外部の共同研究者やアメリカに常住している学術会議の参加者すらも含むが)、英語の文
書のチェックを頼まれた。私はこれらの人々の英語のチェックをするために自分の研究時間から総計で50時間以上を費やすことになった。このはからずも舞い
込んだ校訂作業で、喜んで参加したセンターの学術会議や講演と相俟って、センター常勤スタッフの英語の読み、書き、理解の習熟度について私は正しく認識す
ることができるようになった。
言うまでもなく、今日の世界では英語に堪能であることが必須で、かつ重要であることは、いくら強調してもしすぎということはない。無論、世界で英語が支
配的であることの不公平さや、日本の研究者が直面する特別な言語上の問題は十分に理解している。そうした困難を考えれば、スラブ研究センターにおいて示さ
れる英語能力のレヴェルはいくつかの点で感銘を与えるものである。しかし、スラブ研究センターの役割として、日本国内で学術的、政策的なリーダーシップを
発揮するだけでなく、海外に向けて日本の研究成果を提示し、また何と言ってもスラブ研究センターが卓越した研究拠点である以上、英語能力のレヴェルは、さ
らになお高いものでなければならない。
私は最低限度のこととして、次の二つの方策を勧めたい。第1は、将来的には英語圏の国に2年以上滞在したことのある人材のみを雇用する、あるいは新たに
雇用される人材は、英語圏の国に2年間滞在するよう義務付けることである。第2に、センターは翻訳、校訂、出版の支援をする英語のネイティヴ・スピーカー
をフルタイムで直ちに雇用すべきである。毎年訪れてくる外国人研究者の一人を当てにしてセンターの膨大な英語刊行物のチェックを任せるのは、それが適当な
ことであるかどうかも脇に置くが、極めて非効率的である。
より頻繁で、かつより質の高い刊行活動のためには、さらなる奨励的措置を講じる必要があることは言うまでもなく、同時に幾分なりともハイパー官僚主義を
是正する必要もある。それと並んで、英語能力の向上は、一般的に日本の研究者が、そしてとりわけスラブ研究センターが直面している最重要の課題である。
3) 外国人研究者にとっての研究環境と居住環境
外国人研究者はコンピューターやインターネットへのアクセスなどを完備した広い個室や、ファクスやコピー機の無料かつ無制限の利用、無料で効率の良い郵
便サービス、サポート・スタッフによる支援などの様々な便宜が提供されている。給料も適切で(これはロシアや東ヨーロッパからの来訪者には間違いなくそう
であろう)、センターは国内で行われる道外の学術会議に参加する者全員に費用の全額の助成を行っている(私自身は二度の助成を受けた)。センターでの外国
人の研究環境は優れている。
居住環境は、センターが外国人を受け入れ、快適に過ごせるよう相当の努力を払っているにも関わらず、良いと言うには程遠い。
北海道大学の外国人宿舎は、今年度全面的に改修された。この措置は私自身にとっても、また他の外国人研究者にとっても、住居面で予期せぬ、およそ不快な
不便さをもたらすことになった。しかし、それは将来的に居住環境がわずかでも改善されるということである。しかしそれでも、さらなる改善が考慮されても良
いように思われる。
夫婦で来日している研究者は、日本の基準からすれば、多少とも許容できる居室を与えられている。しかし、未婚の外国人に与えられている「部屋」は、日本
の基準に照らしても、とても満足できるようなものではない。私はここ札幌で、学生の時や、第三世界でさえ住んだことのないような窮屈な場所に暮らしたので
ある。
北海道大学の内部で居住に関してこれ以上の選択肢がないのであれば、センターは未婚の外国人に対して現有の宿舎で10か月間の生活することが全く望まし
いことではないということを伝えて注意を喚起すべきであり、未婚の外国人には民間の不動産市場で適当な住居を見つけられるようアシスタントを付けるべきで
あろう。プリンストン大学に長期の外国人来訪者を多数受け入れてきた立場の者として、私は未婚の来客にこのような生活環境を提供することを恥辱と感じるで
あろう。
締めくくりに、スラブセンターで10か月間の生産的な研究活動のための機会を与えられたことに対して、真摯な感謝の念を繰り返すことをお許し頂きたい。
[PageTop]