日本ロシア・東欧研究連絡協議会
トップページ
学会・研究会情報
JCREES通信
リンク集
協議会規約
役員名簿
事務局
SRC トップページ
ロシア・東欧学会 JAREES 日本ロシア文学会 日本スラブ東欧学会 JSSEES ロシア史研究会 日本国際政治学会 JAIR 比較経済体制学会 JACES 地域研究コンソーシアム JCAS ICCEES Newsletter (国際中東欧研究学会) |
ICCEES執行部の幕張訪問(2009年8月) 松里公孝(SRC) さる5月30日、トロントで開かれたICCEES執行委員会は、2015年ICCEES世界大会の開催地として、東京幕張を推薦することを満票で決めた (ICCEES International Newsletter, No. 64参照)。もちろんこれは執行機関としての提案であり、決定ではない。決定を下すのは、来年のストックホルム世界大会中に招集されるICCEES評議会 である。しかしながら、ライバルであったグラスゴーが戦意を喪失してしまったため、評議会でのどんでん返しはあまりありそうにない。 私は、2007年以来、ヨーロッパ圏外なかんずく日本でのICCEES世界大会開催を提案してきたが、実は日本が正式に立候補したわけではなかった。私は、これまでの日本のスラブ研究の国際貢献度では世界大会など招聘する資格がない、東アジアでの地域コンフェレンスを成功させ、2010年ストックホルム大会に東アジアから多数の報告者が登録して初めて、アジアに世界大会を招く資格が生まれると国内外で主張してきたのである。周知の通り、東アジア・コンフェレンスは大成功だったし、ストックホルム大会には日本から約60名、中韓から約50名が報告登録している(参加登録ではない、念のため)。さて、これでグラスゴーと同じ土俵に乗ることができた、何ヶ月間かのタフな戦いが待っているだろうと思いながらトロントに行ってみると、あたりさわりのない議論ののち、「世界大会を5回連続欧州で開催したことの異常性に鑑み、欧州中心主義的でないスラブ・ユーラシア認識を構築する必要性に鑑み、また最近の東アジアにおける研究者コミュニティ建設の進展に鑑み」幕張を2015年世界大会開催地として推薦するという動議が唐突に出され、満票で可決された。 これほどあっさり決まるとは私も含め日本の同僚は誰も思っていなかっただろう。やはりアジアに暮らしていると、世界大会を5回連続してバルト海沿岸の半径500キロくらいの円の中で開催してきたことに対する欧州の同僚の危機意識を過小評価してしまう。私たちのライバルであったブリテンのスラブ学会(BASEES)長であるテリー・コックス氏も、「日本が本気で手をあげたら勝てるわけがないよ」と言っていたと青島陽子さんから聞いた。仮想だが、世界大会を何回かアジアの都市の間でたらいまわしにしたらどうなるだろうか。その水準は、我々がやっている東アジア学会と同じ程度のものになってしまうだろう。実際にこれがICCEESの世界大会に起こりつつあることである。それはてきめんに北米のスラブ研究者コミュニティとの関係を疎遠なものとした。ICCEES最大加盟組織であるAAASSは、ここ3年続けて代表がICCEES執行委員会を欠席している。2005年ベルリン大会にはロシア人が約170人、アメリカ人が約250人参加したが、この数はストックホルムに向けては見事に逆転した。アメリカからの報告登録数が170、ロシアからが250である。水準的には地域学会程度のもののために、アメリカ人は大西洋を越えようとはしない。 もう1回世界大会を欧州でやったら、ICCEESの権威は失墜すると(グラスゴーも含め)皆が思っていたのである。ICCEESの権威が失墜してもJCREESだけは安泰だと思っている日本人がいるとすれば、それはひどい勘違いであると言わざるをえない。 7月10日に開催されたJCREES幹事会は、私に、世界大会フィーズィビリティ委員会を組織し、大会を成功に導くに足る財政的・組織的見通しを立てることを命じた。この委託を実行するため、2006年世界政治学会(福岡)の実行委員長だった現熊本県知事に会うなど様々な調査、また請願活動を行っているのだが、これまでの最大の仕事は、ICCEES幹部の訪日・訪中を実現したことである。幹部のうちジョン・エルスウォース会長とスタニスラフ・キルシュボーム事務局長の旅費は、国際会議誘致の一環として日本政府観光局の協力により、観光庁が負担した(通常、大会誘致・視察のためには1人しか幹部を招かないの で、2人招いたこと自体、観光庁や観光局にとってのICCEESの破格の位置づけを物語っている)。トーマス・ブレマー副会長の旅費は、宗教学者である彼をたまたまロシア正教研究会に招く必要があったので、私の関連財源から出した。視察に伴う様々な文化行事の費用を負担したのは、千葉県、市、コンベンショ ンビューロー、そして地元の有志である。 エカテリーナ・エルスウォース夫人の日本文化体験、 着物、お茶、生け花・・・ 幹部のうちブレマー教授だけは早めに来日し、成田山新勝寺などを見学したのち、8月23日のロシア正教研究会に参加した。この研究会は、世界大会開催候補施設のひとつである幕張のOVTA(海外職業訓練協会)ビルで行われた。その夜にはエルスウォース会長、キルシュボーム事務局長も合流し、袴田茂樹JCREES会長がホストとなった夕食会が行われた。 翌24日は、大会開催候補施設である幕張メッセ、OVTA、神田外語大学(学長が直々に案内)を視察すると同時に、千葉県庁を訪問し、副知事と会った。副知事は、森田県政が成立してから総務省から移ってきた人らしいが、地図を見せながら千葉の地理条件と発展戦略について詳しく語り、プロトコール的な面談を予想していたICCEES側を驚かせた。エルスウォース会長は、彼の持論であるが、冷戦の際に西側が東側を研究するために生まれた組織であるICCEESが本当にグローバルな組織になるためには日本で開催される世界大会を成功させる必要があることを訴えた。会長の高邁なスピーチを受けて、私は、より俗っぽいが、旧ソ連東欧研究は結果的には社会的アピール力を持つこと、また大会の成功のためには自治体からの財政的な援助が不可欠であることを訴えた。 歓迎レセプションでキルシュボーム事務局長の誕生月を祝う。後ろは日本政府観光局の小堀コンベ ンション誘致部長 その後、午後3時から観光局や千葉コンベンションビューローの代表も交えての世界大会に向けた実務者会議が、4時半からはICCEES幹部と研究者のみの学術的な交流会が行われた。過去の世界大会の組織経験をICCEES幹部の口から直接聞けたのは意義深いことであった。夜は、ホテル・ニューオータニのスカイラウンジで、千葉の実業界、学術界、国際交流団体を交えての豪華なレセプションがあった。千葉コンベンションビューローと私の打ち合わせでは、これは立食パーティーになるはずだった。しかし「指示が不徹底」で(誰かが立食パーティーなどとんでもないと思ったのだろう)、琴のバックグラウンド演奏のもと フレンチとワインがふんだんにふるまわれた。キルシュボーム事務局長の誕生月だったのでサプライズで可愛いケーキが出されるほどの細心のもてなしであった。千葉はその本気ぶりを誇示したのである。東京で2000人規模の国際学会を開いても、都にとってもビジネスにとっても鼻くそのようなものだろう。その意味では千葉を選んだのは当たりだった。 日本で一番若い市長と 翌25日には千葉市庁を訪問した。熊谷千葉市長はこの春に民主党から当選した全国で一番若い市長で、千葉を国際都市・学術都市にするという自分の公約実現に貢献しうるICCEES世界大会に大きな関心を示した。この日の残りは盛りだくさんの文化行事であった。相撲部屋を訪問して稽古を見学したのは特に印象 に残る体験であったようだ。ブレマー教授の大学生の息子さんは、幕内力士と実際に相撲をとった。日本最後の夜は隅田川に屋形船を浮かべ、カラオケ大会と なった。ICCEES幹部はカラオケの経験は全くなかったが、千葉コンベンションビューローのスタッフに乗せられるような形で、結局熱唱した。翌日は総括の実務者会議を行った後、成田空港に向かった。千葉コンベンションビューローは、この勢いで大会準備作業に突入する構えであったが、来年の幕張開催正式決定まではあまり動けないということがわかって、拍子抜けしたようだった。ストックホルムでは、(幕張大会は)「明日にでも出来る。しかしやっぱり5年待って頂戴」というのをキャッチフレーズにしようかと思った。 間違いなく一生に1回しかない体験 これまで私は、他のICCEES幹部と一緒に世界大会候補地・予定地であるリヨン、ストックホルムを視察したことがある。もちろん誘致する側が旅費を持つなどということは絶対にないし、会議の場所が正確に伝えられていなかったり、組織者の手際が悪くて鍵のかかったビルの前でICCEES幹部が2時間立たされていたりしたこともある。そんな怠惰な国民でも図々しく世界大会を誘致するのはある意味では結構なことだが、日本人ほどの組織性やもてなしの心がありながら、それを国際貢献に生かしてこなかったとすれば惜しいことである。 8月26日には北京に飛んだ。ICCEES中国代表になったばかりの鄭羽氏が秘書の女性と共に迎えてくれた。その翌日は、ICCEES一行は万里の長城を見に行った。私は北京に残ってフィールドワークである(本号別稿参照)。28日の午前中が公式の会議である。まずホストである中国社会科学院ロシア東欧中央アジア研究所の指導部との会見があり、その後、中国スラブ学会(CAEERCAS)の主要な中堅研究者(残念ながら北京在住者に限られたが)との内容豊かな懇談があった。使用言語は主にロシア語で、欧米人のICCEES幹部とロシア語で学問的な会話ができること自体嬉しいと中国側は言っていた。私自身、北京地域におけるスラブ研究事情をはじめて体系的に聞くことができ、大いに勉強になった。その日の午後は紫禁城を観光し、翌29日には我々は皆帰路に就いた。 この北京訪問は、ある意味では幕張視察以上に大切なことで、私は何としても実現したかった。というのは、昨年、李静杰会長がパスポート問題でストックホルムのICCEES評議会に出席できなかったために、中国スラブ学会のICCEES加盟は欠席裁判のような形で決まったのである(欠席裁判は、普通は「被告」にとって不利な判決が下されるものだが、この場合は逆)。その後も中国の同僚がなかなか電子メールに応答しないために、ICCEESと中国スラブ学会との協力は一向に具体化しなかった。これでは加盟した意味がない。 先に述べたように、ICCEESとAAASSの関係が思わしくないので、東アジアはICCEESにとって第2の拠点となりつつある。ICCEES執行部にとっては、精力的でそれなりに学問的な水準も高く、ICCEESに忠実な東アジアが可愛くてしょうがないのである。ICCEESの幹部が日本を訪問するのは2004年以来であるから5年ぶりであった。極東のスラブ研究者がICCEESを身近に感じるように、もっと頻繁に来てほしい。何とか予算を捻出して、執行委員のうち必ず誰かを、年1回の東アジア・コンフェレンスに招くようにしたらよいのではないだろうか。ちなみに来年3月のソウ ル・コンフェレンスには、ICCEESオセアニア代表であるグラーム・ギル・シドニー大学教授が出席し報告する。私は、彼にも帰路日本に寄ってもらいたいと考えている。 「スラブ研究センターニュース」119号(2009/11)から転載 |
[事務局]060-0809 札幌市北区北9条西7丁目 北海道大学スラブ研究センター内
e-mail:src@slav.hokudai.ac.jp fax:011-706-4952
copyright (c) 1998-2010 JCREES