ITP International Training Program



英語合宿とASN年次大会での報告の経験

鶴見 太郎

(日本学術振興会特別研究員)


 昨年暮れに別件で松里先生にメールをしたのが縁で、この英語合宿に誘っていただいた。Association for the Study of Nationalities(4月、コロンビア大学)の年次大会での発表も決まっていたこともあり、参加させていただいた。これまでも国際会議での発表の経験はあったが、いずれも原稿読み上げに終わり、会場からの反応も薄いと感じており、次のステップへと進まなければと思っていた。常に聴衆に語りかけるスタイルの方が、聴衆をひきつけ、その事情によく通じているように見える点で有利であるのは間違いない。さらに、発表の時点で原稿を見ずにスラスラと喋っていれば、質問の時間も落ち着いて同じ調子で答えることができるような気がする。原稿にすがっていては、それ以外の質問が来るのが怖くなるかもしれない。今回の英語キャンプはそのための訓練に徹した場だった。


 私は日本の学会発表でも原稿読み上げしかやったことがなかった。それが時間を厳守したうえで最大限の情報を伝えられる方法だと考えたからである。だが、今回の合宿で、それは論文でやればいいのであり、学会発表の目的は情報量にあるのではないと悟ることができた。学会発表は、自らの研究の宣伝の場なのではないか。むろん、論証をほとんど省いた文字通り広告のような発表では、逆に学者としての資質を疑われかねない。しかし、発表では研究の山場を見せ、さらに知りたい方は論文をお渡しします、という流れに持っていければ、20分や15分という時間は決して短すぎないと思った。


 合宿での発表時間は20分だったが、実際のASNの発表時間は15分だった。初日にそれを知ったのだが(私は3日目だった)、全体的に5分削るというマイナーチェンジをしただけで臨んでしまった。発表内容には2本柱があったのだが、思い切って1本にしてしまった方がよかったのではないかと思う。実際、会場からは背景の説明がもっと欲しかったという旨のコメントが聞かれた。せっかく学んだことを完全に生かしきれず、欲をかいてしまったことは反省点である。


 会場には前日に声をかけておいた関連分野の有名な教授も来てくださったが、その先生は、学者に考古学者タイプと宣教師タイプがいるとしたら後者に近く、議論の時間に私の発表の趣旨とそれほど関係ないばかりか、趣旨を理解していないような持論を展開し始めてしまった。しかしここで落ち着いて、教授の言っていることの一定の意義を認めつつ、自分の議論の所在を説明し、何度か往復したのちに最後は趣旨を理解してもらえた。「歴史を現在の視点から見てはならない」と言ったのが決め手になったようである。なんとか落ち着いて自分の考えをある程度伝えることができたのは、聴衆の目を見て語りかけるための1週間の合宿での訓練があったからこそだったと実感している。


 また、今まで国際学会では一度も質問したことがなかったが、今回は全部で5回行った(小学生のようなことを言って恐縮だが)。自分の理解が深まるだけでなく、「君があの質問をしたのはなぜなんだい」と休憩時間に話しかけてもらえるなど、学会を満喫する上で外せないポイントだと感じた。合宿を経て私の国際学会への姿勢は明らかに変わった。


 ちなみに、ASNの「ロシア・アイデンティティ」と題されたセッションでは、ITPの先輩である浜さんが堂々とディスカッサントを務められていた。私もそうした役割を果たせるよう精進したいと思う。


 本当はもっといろいろと書きたいところだが、短い文章(発表)に多くの情報を入れすぎないということを今回学んだので、ぐっと我慢するが、やはり、先生方やスラブ研究センター、とりわけ雑用を一手に引き受けてくださった越野さんと藤森さんへの感謝の念だけは、最後に記さないわけにはいかない。



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