ITP International Training Program



4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesに参加しての所感

本田 晃子

(北海道大学スラブ研究センター非常勤研究員)



 国際学会というと、イギリスの作家で英文学の教授でもあるデイヴィッド・ロッジの小説、『小さな世界』(Small World, 1984)を思い出す。読んだのはもう10年以上前になるだろうか。同書によって、国際学会とは中世の巡礼の旅に比すべきものであり、贖罪的行為(ペーパー提出、研究発表)を果たしながらも、旅のあらゆる楽しみに耽ることができ、ついでに謎の学会狂の美女とも知り合えるものと教えられ、以来恐れだか憧れだかよく分からないものを抱き続けてきた。そんな私にとって、今回のインドはコルカタに於ける4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesは、そのような国際学会に生まれて初めて参加する機会となった。既に学会の日程やパネル構成のあらましについては高橋さんが報告されているため、ここでは私の主観的な感想などを、あまり脈絡もなく書き連ねさせていただきたいと思う。ちなみに先に結論を述べるならば、謎の美女(美青年)との出会いはなかった。[→続きを読む

[Update 12.10.02]

4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesに参加して

高橋 美野梨

(日本学術振興会特別研究員)



 2012年9月4日から5日にかけて、インド共和国西ベンガル州コルカタのMaulana Abul Kalam Azad Institute of Asian Studies: MAKAIASにて、The Image of the Region in Eurasian Studies を共通テーマとする国際学会「4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studies」が開催された。私は、報告者の一人として当学会に参加した。[→続きを読む

[Update 12.09.25]

Taking part in the 4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studies

Minori Takahashi



On September 4 and 5 an international conference entitled "The 4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studies" on the theme of "The Image of the Region in Eurasian Studies" was held at the Maulana Abul Kalam Azad Institute of Asian Studies (MAKAIAS) in Kolkata, state of West Bengal, Republic of India. I participated in the conference as one of the presenters.

[→Continued

[Update 12.09.25]

ASEEES大会参加記

斎藤 祥平

(北海道大学文学研究科博士後期課程)



 第43回Association for Slavic, East European, & Eurasian Studies大会は2011年11月17日から20日にかけ、ワシントンD.C.で開催された。


 8月に参加した第3回スラブ・ユーラシア東アジアとは異なり、ネイティブスピーカーが圧倒的に多く、大規模な大会であった。そのこともあって、自分の報告そのものは成功したとは言い難かった。しかし、現地の研究者によるパネルやより自由な議論が可能な「ラウンドテーブル」での新たな議論を生み出そうとする雰囲気に刺激を受けるとともに、参加後に考えさせられることも多く、個人的には得るものが大きい学会であったと言える。以下の三つの項目について、述べてみたい。 [→続きを読む

[Update 12.01.19]

ASEEES大会参加記

桜間 瑛

(北海道大学大学院文学研究科博士後期課程)




  去る11月17日~20日にかけ、ワシントンD.C.で開催された第43回 Association for Slavic, East European, & Eurasian Studies(旧 American Association for the Advancement of Slavic Studies)大会に参加し、報告を行った。


  筆者は、2008年3月のITP英語合宿に参加しており、その恩恵にあずかりながら、その後に長期の留学に出かけたこともあり、それを生かす機会のないままでいた。そうした中、2011年の1月、大学院の同僚であった高橋沙奈美さんよりこの学会のパネルに参加しないか、という誘いを受けた。締切りの関係でその日のうちに返事がほしいという。突然の話と学会の規模の大きさに当惑したものの、せっかくやってきたチャンスを逃すのももったいないと考え、その場でタイトルを決めて、参加させてもらうこととした。 [→続きを読む

[Update 11.12.13]

第3回スラブ・ユーラシア東アジア学会(北京)でのパネル組織

斎藤 祥平

(北海道大学大学院文学研究科博士後期課程)


[→読む(英文)

[Update 11.12.13]

札幌からハワイへ:英語合宿と学会報告の経験

麻田 雅文

(日本学術振興会特別研究員)




  2008年の英語合宿のあと、残念ながらロシアへの留学などで久しくキャンプ地・真駒内を訪ねることもなかった。その英語合宿が今年も開催されると聞いたのは、2月の末だった。日程的な余裕はなかったものの、3月6日から11日まで開催された同合宿に参加してきた。今回はすでにスラブ研究センターを卒業した身であるため、押しかけるような形であったが、それでも参加したことはやはり色々と勉強になった。 [→続きを読む

[Update 11.04.15]

AAASS参加報告

平松 潤奈

(ITP第1期フェロー、東京大学大学院人文社会系研究科研究員)




  2009年にボストンで開催されたAmerican Association for the Advancement of Slavic Studies (AAASS) の第41回全国大会に参加した感想を記したい。具体的な参加手続きの流れや大会の様子については、フィラデルフィアで開かれた前回大会について、青島陽子さんがこのITPのサイト上で詳細かつ精確に報告されているので、そちらを参照していただきたい。[→LINK] ボストン大会の雰囲気も、まったく同じと言ってよいものだった。


  私は、ショーロホフの『静かなドン』を扱った博士論文をもとに、スターリン時代の検閲のあり方について再検討する、という内容で発表した。個人発表の枠で応募したが、寄せ集めのパネルにしては発表者三人の内容が比較的近いもの(ソヴィエト文化)にそろえられていて、ありがたかった。 [→続きを読む

[Update 10.10.25]

のど許過ぎればすべて忘れる、あるいは良薬は口に苦し:第二回東アジア・コンフェレンスの舞台裏

高橋 沙奈美

(北海道大学大学院文学研究科博士課程)




  このエッセイを書いている今、ソウルでの第二回スラブ・ユーラシア研究東アジア・コンフェレンスからすでに半年が経とうとしている。月日を経ても色あせることなく印象に強く残っているのは、2010年から開催の初日までの、韓国のオーガナイザーとの濃密なメールのやり取りである。韓国の東アジア・コンフェレンスの舞台裏のドタバタは、ある意味、大変貴重な経験であった。これほどまでプログラムやパネルをめぐって開催直前までもめる学会も、めったにはありえないのではないだろうか?


  コンフェレンスが始まってみれば、自分の専門分野と関係の深い研究者と個人的にお話する機会もあり、また日本から参加された先生・先輩方とさまざまに語り合う時間をたくさん持て、楽しい思い出もたくさんできた。学会自体の詳細は他の方のエッセイに委ねることにして、今後の参考になるかどうかはわからないが、ここでは開催までの舞台裏の顛末を書き記してみたい。 [→続きを読む

[Update 10.09.21]

ICCEESストックホルム大会に参加して

長島 大輔

(東京経済大学)




大会運営について
  報告者・参加者は、数百名にものぼり、同時進行でいくつもの部会・シンポがあった。初日に渡されたプログラムをもとに、どの部会で誰の発表を聞くか計画を練ったが、行ってみると報告者が来ておらず、がっかりさせられることも多かった。報告のキャンセルや報告者の別の部会への移動は、随時掲示板に張り出されていたが、毎日掲示板をチェックするのには苦労した。現に自分の発表の時間も2度の変更があって、結局もとの予定通りの時間になったし、自分と同じ部会の発表者も変更されていて、なにやらわけがわからぬうちに発表が終わってしまった。といっても大会組織者にこれらの混乱の責を求めてもしかたあるまい。大会の準備の段階から、運営側から十分な情報が届いていたし、大会期間中も変更やキャンセルの連絡も律儀に行われていた。反対に、このような大規模な学術大会の一参加者として、組織者が運営しやすいようにどんな協力ができるかということも考えるべきであろう。 [→続きを読む

[Update 10.09.07]

ICCEESに参加して

浜 由樹子

(津田塾大学、ITP第2期フェロー)[→プロフィール




  ITPからの助成を受け、7月25日から開催されたICCEESの大会に参加させていただいた。


  昨年の夏、私がこの大会への参加・発表を申請したのは、実は既にプロポーザルが締め切られた後であった。偶然、自分の報告(予定)内容にぴったりのパネルが組織されていたために、そこに飛び入り参加させてもらったという経緯がある。しかも、たまたま一緒になったはずだったそのパネルのメンバーとは、その後、ITPでのアメリカ長期派遣中に幾度も顔を合わせ、学会やシンポジウムで交互に報告したり討論者を務めたりする機会があった上に、論文集の作成にも加えていただき、頻繁に研究交流をすることとなった。そのため、ストックホルムでの「再会」は、お互いの研究内容を良く知る研究者仲間の1年の総括ともいえるものであったし、良い意味であまり緊張せず、リラックスして報告することができたように思う。 [→続きを読む

[Update 10.09.07]

ICCEESストックホルム大会に参加して

油本 真理

(東京大学大学院)




  これまで、日本以外ではロシアでの学会や研究会に顔を出した程度の経験しかなく、他の国際学会や欧米の学会との比較をすることはできない。しかし、それでもそこで一院生が受けた印象を書きとめておく意味もあるだろうと考えるに至った。


  大会の場において何よりも考えさせられたのは、(国・地域ごとの)研究の「文脈」を超えることの難しさである。例を挙げるとすれば、新思考外交をめぐるパネルにおいては旧ソ連圏からの研究者からの実質的な反応がほとんどなかった一方で、世論調査結果に基づいてロシアのアイデンティティをめぐる問題を取り扱ったパネルでは、ここはロシアかと見まがうほど、ロシア語での議論が盛り上がる様子が観察された。 [→続きを読む

[Update 10.09.07]

ICCEES2010に参加して

杉浦 史和

(帝京大学、ITP第1期フェロー)[→プロフィール




  ITPフェローとしてワシントンDCに派遣されたのはもう2年も前のこと。帰国後、一度だけ海外の学会(AAASS)で報告したが、そのときはペーパーの準備不足もあって、とても満足のいくものではなかった。今回は、5年に一度というICCEESでもあり、気を引き締めて臨んだ。実のところ、去る3月に真駒内英語キャンプに参加させていただいたことが、大変いい刺激となっていた。私は、在外研究経験者としてお話しさせていただく場を与えられたのであるが、そこでプレゼンテーションの準備に真摯に取り組んでいる皆さんを見て、深く感銘を受けただけでなく、プレゼンテーションのスキルも大いに学ぶことになった。そんなこんなで、内心密かに期するものがあって、ストックホルムに向かったのである。 [→続きを読む

[Update 10.09.07]

自分という「商品」を売り込む

佐藤 圭史

(学術振興会特別研究員)




  自宅からグラスゴー大学へ向かう道沿いに果物屋が3軒ある。並べられている果物は種類があり、同じ種類でも色・形・大きさが違い、それぞれに魅力がある。それらを一瞥して、どんどん籠に入れていく。気に入る、気に入らないの判断に時間をほとんど要さない。それほど意識したことはないのだが、自分の感覚に沿った何らかの選択基準があるようだ。自分の研究発表にしても聴衆が何処で良し悪しを判断しているのか、自分ではなかなか分からないものである。ICCEESの発表では、そのような基準に気付く貴重な体験をさせてもらった。 [→続きを読む

[Update 10.09.07]

ICCEESストックホルム大会の印象

乗松 亨平

(東京大学、ITP第1期フェロー)[→プロフィール



  ICCEESストックホルム大会について、私的な印象を二、三記したい。


  私は個人発表でエントリーしたが、組織委員会の工夫で、19世紀コーカサスを扱うペーパーばかり集めたパネルを組んでいただけた。結果的には、4人の発表予定者のうちロシア人2名は現れず(キャンセルの出ないパネルはわずかという有様だった)、青島陽子さんと私だけになったが、専門的関心をもった聴衆が集まり、突っ込んだ指摘を受けることができた。やはり、テーマに凝集性の高いパネルのほうが、聴く側として足を運びやすいのは確実で、自分も今後、国際学会へのパネル・エントリーを実現できるよう努めたい。また、場をみごとに切り盛りしていただいた、司会のオザン・アルスラン氏に感謝申しあげる。 [→続きを読む

[Update 10.09.07]

多国籍の対話―イクシーズ・ストックホルム大会に参加して

青島 陽子

(ITP第3期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学デイヴィス・センター)[→プロフィール



  今回のストックホルムでの報告は、札幌からの引越し、渡米準備と時期が重なってしまったため、準備に非常に苦労をした。じっさい、疲労のあまり、ストックホルムに到着したときの印象がほとんどないほどである。
  ICCEESストックホルム大会も、2008年のフィラデルフィアのAAASSでの報告の時と同じように、パネルではなく個人で応募した。応募にさいして、A4一枚程度のアブストラクトを送ったが、大会の1年半も前(2009年の3月)であったため、この段階ではまだ具体的な報告内容は準備できていなかった。次に計画していた研究テーマを題目として提出し、自分に発破をかけて一年半準備をするつもりでいたのである。
  しかし、一年半は瞬く間に過ぎてしまい、準備の状況が十分だったとは言えない。研究はごく初期段階で、展望を示すのが精いっぱいであった。しかし、報告内容の善し悪しはともあれ(それは私の今後の研究の進展にかかっているとして)、報告をした時の個人的な印象は、二年前のAAASSよりも遥かに良いものであった。 [→続きを読む

[Update 10.08.23]

ICCEESにおけるパネルの組織

左近 幸村

(学術振興会海外特別研究員、ロシア科学アカデミー・サンクトペテルブルグ歴史研究所)



  私がICCEESストックホルム大会のために、本格的にパネルの組織に取り掛かったのは、2009年2月に札幌で開かれたスラブ・ユーラシア研究者のための東アジア学会の時である。レセプションの最後に、松里先生から「命に代えてでもICCEESのパネルを組織してね」と冗談交じりで(??)言われたのをきっかけに、動きだした。
 私がまず目をつけたのは、中京大学で日本法制史を研究している浅野豊美先生である。先生も東アジア学会に参加されたのだが、スラブ・ユーラシアが専門でないにも関わらず、最後まで残られて様々な議論に耳を傾けている姿が印象的だった。そこで、ひょっとしてと思って学会終了直後にICCEESへの参加を打診してみると、あっさりと快諾された。ただその際、治外法権を軸とした比較帝国論のパネルをやりたいという条件を出された。 [→続きを読む

[Update 10.08.23]

ストックホルムでの教訓: ICCEES VIII World Congress 2010に参加して

井上 岳彦

(北海道大学大学院)



  教訓:1)プログラムの変更を信じてはいけない。2)パネルを組織すること。3)真駒内を思い出しなさい。4)英語で論文を書くこと。


  ICCEESストックホルムでの私の報告は,慌ただしく始まって,あっという間に終わってしまった。日本を出発する一週間前に,私の報告はセッション一日目から三日目へ移動したというプラグラム変更のメールを大会実行委員会から受けて,そのつもりでいざストックホルムに行ってみると日程は変更されていなかった。準備していたとはいえ,突然のことに慌ただしく報告することになってしまった。自分の悪い癖を確認している余裕はあまりなかった。案の定,いつもの良くない部分が出てしまった。ロシアでもどこでも常に臨戦態勢にしておく必要がある。 [→続きを読む

[Update 10.08.23]

ICCEESに参加して

溝上 宏美

ITP第2期フェロー 派遣先:オックスフォード大学聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センター)[→プロフィール



  去る7月30日から31日にかけて、ストックホルムで開かれたICCEESに参加し、報告をさせていただきました。英語での報告自体は今回で4回目になり、慣れも出てきてそれほど緊張はしなくなりましたが、今回は報告時間が15分と短かったため、歴史系で30分程度の報告に慣れている私には少し話足りない感がありました。ただ、逆に、いつもはある程度の長い時間話せるということに甘えていたということも感じました。報告したいポイントをできる限り絞り、自分の研究の要旨を簡潔に話すという点では、よい訓練になったと思います。実際には、分科会の最初のほうで私の前の報告者のパワーポイントが動かないというハプニングが起こり、急きょ報告の順番が2番目から最初に変わって若干報告時間も短くなるということもありましたが、途中で報告原稿の中で重要度の低いところを省いて何とか最後まで話終えることができました。とっさの判断でその場で文章を組み替えたので、もしかしたらこちらの伝えたかったことが伝えきれなかった部分もあったかもしれませんし、15分としても元の原稿が少し長かったのだなと反省するところもありますが、その場で乗り切れたことが自信となりました。 [→続きを読む

[Update 10.08.23]

英語合宿とASN年次大会での報告の経験

鶴見 太郎

(日本学術振興会特別研究員)



 昨年暮れに別件で松里先生にメールをしたのが縁で、この英語合宿に誘っていただいた。Association for the Study of Nationalities(4月、コロンビア大学)の年次大会での発表も決まっていたこともあり、参加させていただいた。これまでも国際会議での発表の経験はあったが、いずれも原稿読み上げに終わり、会場からの反応も薄いと感じており、次のステップへと進まなければと思っていた。常に聴衆に語りかけるスタイルの方が、聴衆をひきつけ、その事情によく通じているように見える点で有利であるのは間違いない。さらに、発表の時点で原稿を見ずにスラスラと喋っていれば、質問の時間も落ち着いて同じ調子で答えることができるような気がする。原稿にすがっていては、それ以外の質問が来るのが怖くなるかもしれない。今回の英語キャンプはそのための訓練に徹した場だった。[→続きを読む

[Update 10.04.28]

日露青年交流フェローシップの選考について

高橋 沙奈美

(北海道大学大学院文学研究科博士課程3年)



 2005年度以降、募集が途絶えていた日露青年交流フェローシップが、「日露青年交流センター」の事業としてこのたび再開された。今年に入ってから活発化した日露の政府間交渉の中で、ロシア側から若手研究者の交換を要請する声が上がり、今回の募集再開の運びとなったらしい。


 今回の募集枠は10名前後と大きなものであったため、応募者にとっては大きなチャンスであった。3ヶ月から12ヶ月の枠内で、ロシア国内での調査が可能というもので、月々30万の滞在費、往復の航空券と旅行保険、それに加えて申請すれば、10万円を上限として研究費が保障される、かなり厚遇なフェローシップといえる。また本フェローシップの特徴として、4月末日までに書類提出、5月後半には書類審査合格者の面接、その週のうちには最終合格者が発表され、6月からロシア渡航が可能になるという、極めて迅速な審査もあげられる。[→続きを読む

[Update 09.06.26]

実録・掲載への道(Modern Asian Studies での掲載決定に至るまで)

麻田 雅文

(北海道大学大学院文学研究科博士課程3年)



 先月、投稿論文を出版します、というメールを Modern Asian Studies の編集部から受け取った。ここに至るまでの道のりをまとめて欲しい、という有難すぎて腰が引けるご依頼をITPから頂いていたが、いよいよ逃げる口実も尽きたので、恥ずかしながらその経験を披露してみたい。英語論文を投稿するに当たり、こんな奴でも通るのかと、皆さまの気持ちが軽くなれば幸いです。


 大学院に入ってから親も呆れるほどの時間がたったが、英語で論文を書くことは考えたこともなかった。テストのためだけに暗記を強いられる英語は中高を通じて苦手であり、ロシア語を学ぶうちに英語はすっかり「お留守」になっていたからだ。おまけに、理系と違って文系大学院では英語論文を書くことにインセンティブを見出すことは難しい。労多くして益なし、日本語の論文で数を稼いだほうが賢い、という考えはスラブ研究センターの外では通用する「常識」かもしれない。しかし、ここはスラ研である。国際的な業績をバシバシ発表してゆく指導教員たちに、大学院生たちも刺激されないわけがない。正確にはそうした教員の一人である松里先生にソウルへ「連行」されることになり、学会用に英語論文を書かざるを得なくなった。[→続きを読む

[Update 09.02.09]

AAASS体験記

青島 陽子

(北海道大学スラブ研究センター博士研究員)[→プロフィール



 朝一番の便で札幌を出発してから、ワシントンDCを経由した長旅の後、アメリカ合衆国発祥の地フィラデルフィアに到着した。会場となるホテルは街の中央部に位置し、道を隔てて高層ビルの隙間からシティ・ホールの絢爛な建物が垣間見えた。


 学会のちょうど一年ほど前、スラブ研究センター冬期国際シンポジウム最終日の12月7日が、AAASSの個人応募の締め切りであった。AAASS(米国スラブ研究促進学会)は、以前から名前だけはよく聞いていたものの、断片的な情報の寄せ集めのみで、まるで実態の想像はできていなかった。その年のAAASSには同僚の赤尾光春氏や大串敦氏などが報告に赴いていたこともあり、機会があれば行ってみたいとぼんやりと思っていた程度であった。その12月7日の夜、冬期シンポジウムのために来日していたアメリカのジェームス・メイヤー氏とフランスのグザヴィエ・ル・トリヴェレック氏、それに若手の同僚数人で居酒屋に行くことになった。その時、親密な空気で話をするなかで、世界の「若手研究者」の状況はよく似ているのだと認識し、ハードルが高く感じていた全米学会もなんとなく参加できそうな身近さを感じた。運良く日本学術振興会から科学研究費補助金(若手研究(スタートアップ))を得ていたこともあり、旅費と英文校閲費のあてもあった。そこでこの時を逃したら思い切ることもないかもしれないと思い、居酒屋から戻った足でオフィスに帰り、プロポーザルを朝までかかって書きあげ送ってしまった。時差も合わせて、ぎりぎりの提出である。[→続きを読む

[Update 09.01.21]




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