ITP International Training Program



派遣滞在記 - ITP FELLOWSHIP FINAL REPORT-


シュラトフ・ヤロスラブ  SHULATOV Yaroslav

(ITP第5期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学デイヴィス・センター)




 2012年6月から2013年3月にかけて、ITPフェローとしてハーヴァード大学デイヴィス・センターに客員研究員として派遣されていた。 この体験は私にとって極めて貴重であり、興味深いものになった。以下、その全貌を伝えることは難しいが、私の体験を報告させていただく。
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派遣が決まったとき、私は何とも不思議な気持ちになった。実は、33年前、モスクワの大学院においてアメリカ共産党とトロツキズムを研究していた私の母は、 トロツキー死後40年が経過して公開されたばかりのトロツキー文書を閲覧するために、ハーヴァード大学へ研修に行くことが決まっていた。 冷戦の真最中である1980年にはとても珍しいチャンスだった。ところが、息子の私が病気になったため、母はこの研修を断念したのである。 自分のせいで母はハーヴァードに行けなかったわけだが、33年が経過し、自分がそこへ行くことになるとは、不思議な偶然である。 [→続きを読む



オックスフォード滞在記


赤尾 光春

(ITP第5期フェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校)




 2012年7月上旬から翌3月下旬までの約9か月間、オックスフォード大学聖アントニー校の客員研究員として在外研究に携わる貴重な機会をいただいた。 それまでの私の海外在住歴と言えば、モスクワに1年(留学)、エルサレムに計3年(留学)、キエフに1年(博士論文執筆のためのフィールド調査)、 テルアビブに2年(専門調査員として日本大使館に勤務)と比較的恵まれた方だったが、英語圏を訪れたことは少なく、長期滞在となると今回が初めてのことだった。 ロシア語圏やイスラエルと比べたらイギリスでの生活はずっと楽だろうと思われるかもしれないが、私にとってこれほど“タフ”な滞在経験も珍しかった。 [→続きを読む



ワシントンDC滞在記


劉 旭

(ITP第4期フェロー、派遣先:ジョージ・ワシントン大学エリオットスクール 欧州ロシアユーラシア研究所)




 2011年7月から2012年5月までの約11か月間、ITPの助成を受けてアメリカのジョージ・ワシントン大学(GWU)の欧州・ロシア・東欧研究所(IERES)に留学することができた。 ワシントンDCというところは、現代政策研究者としての私にとって、それ以上に望めないほどの場所であると思う。 資源の政治経済研究といえば、世界NO. 1といえるケンブリッジ・エネルギー研究所(Cambridge Energy Research Associates, CERA)の本拠地はワシントンDCにある。 また、この世界政治の中心地に著名なシンクタンクがみな集中している。今回、この貴重なチャンスを大事にしたいと思い、アメリカへ向けて出発した。 [→続きを読む



続 ハーバード滞在記


宮川 絹代

(ITP短期フェロー、東 京大学非常勤講師)




 昨年の夏休み、約一ヶ月に渡る春の滞在を終えてから数ヶ月の時を経て、再びハーバードを訪れた。合計二ヶ月以上という派遣期間の後半を全うするためである。八月、ケンブリッジの町は観光客に溢れ、丸ごと休暇の空気に包まれている。大学内に足を踏み入れれば、いくつものキャンパスツアーのグループが目に入り、観光名所としての開放的で陽気な雰囲気を漂わせている。 [→続きを読む



英国オックスフォード滞在報告(その2)


大野 成樹

(ITP研究支援員、旭川大学教授)




 2011年度に引き続き、今年度も北海道大学スラブ研究センターの計らいで、オックスフォード大学聖アントニー校に滞在する機会を得た。 昨年は準備期間がほとんどなくかなり慌ただしく出発したが、今年は本務校の第二期入試と卒業式までに帰国できるように、2月上旬から3月上旬にオックスフォードに滞在する日程を組んだ。 このため後期定期試験の採点を済ませ、成績伝票を学務課に提出するとすぐに旭川を離れなければならなかった。 おかげで単位を落とした学生が、英国にいる私の携帯電話に「何とかなりませんか」と連絡してくる始末で、さすがにこの時は閉口してしまった。[→続きを読む



オックスフォード派遣報告


加藤 美保子

(ITP第4期フェロー、派遣先:オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジ)




 2011年8月から2012年7月まで、ITPの助成でオックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジに留学させていただいた。ヨーロッパの地域研究・国際関係研究の中心として多くのポスドクや若手研究者が切磋琢磨している環境のなかで、たくさんの出会いや機会に恵まれた一方、常に日本人である自分がロシア研究をする意味や、政治的トピックに対する自分の立場を問われる緊張感に満ちた日々でもあった。以下では、11か月間の研究生活を振り返ってみたい。[→続きを読む




ハーバード滞在記


宮川 絹代

(ITP短期フェロー、東京大学非常勤講師)




 3月初めから1ヶ月ほどの滞在が決まったのは、2月の半ばのこと。その頃、私は、ハーバード大学がボストンではなく、隣のケンブリッジという町にあることさえ知らなかった。準備もままならぬまま、慌ただしく辿り着いてみると、その町は、想像以上にこじんまりとしていて、すぐに溶け込むことができた。大学最寄りのハーバード駅周辺は、店やカフェなどが並び、観光客も多く、にぎやかだが、町全体は緑も多く、寛ぎやすい雰囲気を漂わせているのだ。[→続きを読む




英国オックスフォード滞在報告


大野 成樹

(ITP研究支援員、旭川大学准教授)




 2012年2月上旬、本務校の後期試験が終了し、今年度も入試と卒業式を残すのみとなったと安堵していた。それまでは週9講の講義や校務分掌で多忙であったが、これでようやく研究に集中することができると考えていたのである。そんな折、タイミング良くスラブ研究センターの田畑教授から以下のメールが届いた。「急な話ですが、ITPの追加予算があったそうです。条件は、今年度に1カ月、来年度に1カ月、相手先の1校のうちのどこかに行ってくれればよいのだそうです。可能性がありますか。」[→続きを読む




二つの一週間:第2回ラウンドテーブルの感想にかえて


佐藤 圭史

(ITP第4期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学ディヴィス・センター)[→プロフィール




モルドヴァ共和国での忘れられない思い出がある。とある研究会が終わり、会場を去る準備をしていた時のことだ。「サトウさん。」振り向くと、見知らぬ恰幅の良い中年男性が私に笑顔を向けていた。「またお会いしましたね。」彼の言葉からすると、少なくとも相手は私を知っているようだった。「ええ、そうですね。」彼を知らなかった私は社交辞令的に応えた。「サトウさん、お願いがあります。今度私たちの研究所で国際会議を催します、ぜひサトウさんにその発表者になって頂けないか、と思っています。」笑顔を絶やさない紳士に対し私は正直戸惑った。  [→続きを読む




欧米への憧憬の念:第1回ラウンドテーブルの感想にかえて


佐藤 圭史

(ITP第4期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学ディヴィス・センター )[→プロフィール




「文明開化」を促したのは欧米文明への憧憬の念である。それは、さながら、早く大人になりたいと想う子供が、大人をまねようとする態度に似ているかのようだ。海外と接点を持った、一流の知識人であればあるほど憧れは強かったにちがいない。それは、明治末期、大正期に活躍した文芸作家の作品からも読み取れる。しかし、私たちの世代で、身を削り、資産を手放してでも、欧米へ渡航したいという人が、いったいどれだけいるだろうか。現代の日本では偏重した欧米志向は消えつつある。つまり、欧米がただひたすら羨望を向ける対象ではなくなった、ということである。これは、私たちが既に多くの知識を欧米から得たためだけでなく、日本の生活水準が十分に高くなったためかもしれない(金持ちに学ぶ価値を見出し、貧乏人にそうではない、というのは低俗といえようが、ある意味、避けがたい真理[心理]でもある)。このような豊かな環境に日本を導いてきた先人の底力を、私たちは心に留めておかなくてはならないだろう。  [→続きを読む




ワークショップ「Origins, Emergence and Development of Russia's Multilateralism in the Asia-Pacific Region (1986 – 2012)」の組織を振り返って


加藤 美保子

(ITP第4期フェロー、派遣先:オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ)[→プロフィール




ITPフェローとしての派遣先での主要な課題は、研究会の組織、英文学術雑誌への投稿、および派遣国(地域)の権威ある学会で報告を行うこと、である。このなかで研究会の組織だけは受入機関の協力なしには進められない作業である。逆に考えてみると、これは受入機関のシステムを知り、自分の研究を通じてその機関に所属する研究者たちとの交流を深める絶好の機会でもある。しかしその一方で、英語圏への初めての留学で、小規模とは言えオーガナイザーとして国際会議を一人で取り仕切るのはかなりチャレンジングな試みである。筆者の場合は9月初頭から準備にとりかかったのだが、イギリス国内に全く人脈を持っていなかったため、確定しかけたプログラムを何度かリセットしなければならない状況に直面した。自分で組織する研究会とは、これまで自分が日本で行ってきた研究をどのような人たちの前で発表し、誰と一緒に議論したいのかを全て自分で設定できる場なのだと前向きに考えられるようになるまでにはいくつかの障害をクリアしなければならなかった。終わってから言えることは、与えられた課題をどのようにチャンスとして生かしていくかは自分のモチベーション次第だということである。 [→続きを読む




第1回・第2回「北海道ラウンドテーブル(Hokkaido Roundtable)」を組織して


佐藤 圭史

(ITP第4期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学ディヴィス・センター)[→プロフィール




この報告では、特に翌年度に派遣される方のために、研究会を組織・運営する上での注意点など、技術的な面についてお伝えしたいと思います。それぞれのラウンドテーブルの感想は別の機会にいたします。


「ラウンドテーブル(研究会)の組織」は、ITPの課題の中でも、最も大変なものだと思われるかもしれません。こちらにいらっしゃればわかることですが、ディヴィス・センターに集う海外からの優秀な研究者達ですら、センター内で研究会を組織することはおろか、発表の機会を与えられることはほとんどありません。つまりは、彼らですら手にすることのできない機会を、私たち、経験の浅い若い日本人研究者が特権的に得ている、ということになります。 [→続きを読む




オックスフォード滞在記


中村 真

(ITP第3期フェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校)[→プロフィール




2010年7月から2011年6月まで北海道大学スラブ研究センターのインターナショナル・トレーニング・プログラム(ITP)の長期派遣フェローとしてオックスフォード大学のセント・アントニーズ・コレッジのロシア・ユーラシア研究センターに籍を置いて在外研究に専念するというまたとない貴重な機会をいただいた。オックスフォード大学に派遣されるまでは、地域研究や社会科学の研究者と交流したことはないに等しい状態だった。そのため、セント・アントニーズでの生活は、毎日が緊張と発見と反省、そしてある意味では摩擦の連続でもあったと言って過言ではない。そこで、小文では、同地での生活や研究、そして研究者として考えさせられたことがらについて思いつくがままに記してみようと思う。[→続きを読む




ワシントン滞在報告


花松 泰倫

(ITP第3期フェロー、派遣先:ジョージ・ワシントン大学エリオットスクール欧州ロシアユーラシア研究所)[→プロフィール




2010年8月上旬から2011年5月上旬までの約9ヶ月間、北海道大学スラブ研究センターが実施するインターナショナル・トレーニング・プログラム(ITPプログラム)より支援を受けて、米国ジョージ・ワシントン大学エリオットスクール欧州ロシアユーラシア研究所(IERES)で在外研究を行った。IERESは、主にロシア、東欧および中央アジア地域を研究対象とする組織で、政治学、歴史学、文学、国際関係論などの社会科学系の分野で活躍する研究者が多く集まっている。北東アジア地域を法学、政治学の視点で研究する自分にとってはこの上ない環境であり、かつ今まで触れたことのない隣接地域の研究に触れることができたのは、大変よい機会であった。[→続きを読む




ハーヴァード大学デイヴィスセンターでの滞在を終えて


青島 陽子

(ITP第3期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学デイヴィスセンター)[→プロフィール




ITPプログラムから援助を受けて、約8か月、ハーバード大学のデイビス・センターに留学させていただいた。以下、その概略をご報告する。


留学の手続きを始めたのは、スラブ研究センターでの説明会が終わった、4月末に入ってからであった。前任者の半谷四郎さんと浜由樹子さんからのアドバイスを受けながら、雲をつかむような状態でビザの申請や家探しにとりかかったことを思い出す。とくにビザの申請は、ウェブでの申請に切り替わったため、色々と不明な点が多く、最後には数千円の手数料を払って、大使館の問い合わせセンターに電話まで掛けた。それでも札幌領事館でのビザの申請には間に合わず(面談日が極端に少なかったためである)、東京の大使館まで書類の提出と面談に行くことになった。すでに6月も半ば近くになっていた。この時期は、渡航準備と博論の最終提出、ストックホルム報告の準備がすべて重なっており、記憶が飛ぶほどに忙しい時期であった。[→続きを読む




オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジでのセミナー報告


中村 真

(ITP第3期フェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校)[→プロフィール][→プログラム




筆者は、「Conflict and Coexistence of Ethnic and National Identities in Russian, Central and East European Music」というテーマを掲げたセミナーを2011年2月16日にオックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジで開催した(プログラムは、次のリンク先を参照されたい[→Click] )。セミナーの企画と運営を行っていた際には、不自由な外国語である英語を用いて学術的な集会を企画・運営することなど本当にできるのか——という不安をつねに抱いていた。また、筆者の研究が英語圏の研究者たちに通用するかどうかということについても不安だった。だが、実際にセミナーを開催してみると、そうした不安は一掃され、研究者としての自信を得ることができた。


そこで、拙稿では、上記のセミナーを開催するに至るまでに経験したさまざまな試行錯誤の過程について簡単に報告したい。[→続きを読む




ジョージワシントン大学・IERESでのセミナー企画報告


花松 泰倫

(ITP第3期フェロー、派遣先:ジョージワシントン大学 欧・露・ユーラシア研究所)[→プロフィール][→プログラム




2011年3月4日にジョージワシントン大学にて開催したITPセミナーについて若干の報告をしたい。


ITPフェローとして米国ジョージワシントン大学、欧州・ロシア・ユーラシア研究所(IERES)への派遣が決まり、ビザ取得等の手続きに数ヶ月を費やした後、8月中旬にようやくワシントンDCに到着したとき、私の頭の中にセミナー企画に対する明確なビジョンがあったわけではない、ということをまず告白しなければならない。海外に長期に滞在した経験がそれまでまったくなく、まして渡米は初めての経験という未熟な自分にとって、いずれ向き合わなければならないであろうセミナー企画のことよりも、米国での生活の基盤を整えることと、短期間のうちに拙い英語力をどう向上させるかという問題のほうがはるかに優先順位は高かったのである。前任者の任哲さんに紹介頂いた語学学校に通いながら、ようやく本格的にセミナー企画に向き合うようになったのは、9月も終わりに近づいた頃であったように思う。[→続きを読む




ITP国際若手ワークショップの組織を終えて


溝上 宏美

(第2期ITPフェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センター)[→プロフィール




2010年12月10日、ITPの企画としてシンポジウム Imperial Past and Migration in East and West: Bridging Japan, Eurasia and Britain を開催し、さらにその翌日、翌々日に行われた新学術領域研究「比較地域大国論」の国際シンポジウム Regional Routs, Regional Roots? Cross-Border Patterns of Human Mobility in Eurasia に参加した。以下はその報告となるが、国際会議の組織自体については、すでに2010年1月にイギリスで開催した際に詳細に報告を行っているので、組織までの流れなどについてはそちらのほうをご参照いただくとして[click]、ここでは、国際シンポジウムの組織や国際会議への参加など、インターナショナル・トレーニング・プログラムの中で経験してきたことを通じて感じたことを述べさせていただきたい。


本筋からはずれるようであるが、私がオックスフォードにいたときに抱いていた焦燥感から話を始めたい。他のITPフェローの方々とは異なり、私にとって、ITPでのオックスフォード派遣は初めての留学経験であった。それだけに、本来はもう少し早い段階で、たとえば大学院時代に留学した際に直面していただろう問題、つまり、日本人である自分が「他者」たる外国の歴史を研究する意義はどこになるのかという問題を改めて鋭く突きつけられることになった。 [→続きを読む]


デイビス・センターでラウンド・テーブルを組織して


青島 陽子

(第3期ITPフェロー、派遣先:ハーヴァード大学デイヴィス・センター)[→プロフィール




2010年12月10日に、ハーバード大学デイビス・センターにて、スラブ研究センターITPプログラムとデイビス・センターの支援を受けながら、ラウンド・テーブルを開催した。以下、その経験をご報告したい。



日本でもセミナーやパネルを組織するという経験が豊富だったわけではない。まして、海外の機関で、現地の人を呼んで学術的な催しをするという経験はまったくなかった。手続きの想像すらつかず、何もかもが手探りの状態であった。


8月初頭にアメリカに到着してすぐ、デイビス・センターの学術的なコーディネーターの仕事をしているJoan Gabel氏と企画についての技術的な相談を始めた。幸い、前任者の浜由樹子さんが道を拓いてくださっていたので、出だしはスムーズであった。まずジョアンからは、アメリカ国内から三人招聘するか、国外から一人招聘するかのどちらかにしよう、と言われた。招聘者が一人では、センターで開かれる通常のセミナーと同じになってしまうため、私としては三人招聘する企画にしたかった。そこで、アメリカ国内から三人招聘するという枠組みが決まった。 [→続きを読む]


ハーヴァード派遣報告


浜 由樹子

(第2期ITPフェロー、派遣先:ハーヴァード大学デイヴィス・センター)[→プロフィール




2009年8月下旬から2010年6月末日まで、ITPフェローとしてハーヴァード大学デイヴィス・センターにて研究活動を行う機会をいただいた。
  私のこの約10ヶ月間は、文字通りこの上ないハーヴァードの研究環境と、アメリカを拠点とする研究者たちとの素晴らしい出会いに恵まれた、極めて充実した時間であった。このような無二の機会を与えてくださったスラブ研究センターに、まずはお礼を申し上げたい。


日本での非常勤の仕事の関係上、私の渡航は8月後半にならざるを得なかった。先方の秋学期の始まりに合わせてのボストン入りだったのは良かったのだが、学生が出入りする時期でもあり、とにかく住居の手配が困難を極めた。事前に下見ができるわけでもなければ、土地勘もない。いくら大学関係者のための不動産サイトがあったとしても、インターネットで1年間の住まいを探すのは本当に不安だ。しかも、ボストンやケンブリッジは、(デフレ前の)東京のど真ん中並みの物価と家賃。大学周辺のアパートに月$1500以下の物件はまず存在しない。タイミングの悪さも相まって、ようやく見付け出したいくつかの物件の交渉もあえなく決裂し、渡航を目前に焦りばかりが募っていった。今後、ITPによる派遣に際して、住居の確保が可能になれば、フェローの心労もかなり軽減されると思う。ちなみに、この時の自分の教訓から、後任の青島さんにバトンタッチする際には、私が滞在しているうちに2人の連携プレーで物件探しをした。(結果については来年のレポートで明らかになることと思う。) [→続きを読む]


オックスフォード留学を経て


溝上 宏美

(第2期ITPフェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センター)[→プロフィール




2009年6月25日より2010年3月30日まで、北海道大学スラブ研究センターが実施するインターナショナル・トレーニング・プログラムの下でイギリス、オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジに留学しました。オックスフォードでは、研究活動並びに将来的に国際的に研究を発信していくための基礎力をつけるための訓練の一環として、英語論文の執筆、国際会議の開催、英語での研究報告、イギリスを始めとする国外の研究者との交流といった活動を行いました。以下、オックスフォードでの経験と、それが現在、および今後の研究活動にどのような形で結びついている、そして結びついていくのかについて、簡単に記したいと思います。


まず、英語論文に関しては、現地の夏季休暇期間にあたる6月末から9月までの間に二本の執筆を行い、うち一本については9月末に現地のインフォーマル・アドバイザーの指導を受けて修正し、10月末にイギリスのジャーナル、Historical Research に投稿しました。残念ながら掲載には至りませんでしたが、執筆及び修正の過程で内容に関してだけでなく、字体や注釈のつけかたなど日本とは異なる英語論文の体裁に関しても学ぶことができ、投稿は貴重な経験となりました。この論文を元に、今年7月末に行われたICCEESでの報告も行っており、今後、レフリーの指摘と報告で得た指摘も入れて修正し、他の雑誌へ再度投稿を行いたいと思います。もう一本については、2009年9月にロンドンで開催される予定であったワークショップでの報告のために準備しておりましたが、残念なことに報告者が集まらず、研究会自体が休止となったため、報告はできませんでした。ただ、この原稿自体は無駄にはならず、この原稿は、その後の研究の進展を反映してかなり加筆修正することになったものの、2010年1月に開いた国際会議における報告原稿の元となりました。 [→続きを読む]


ジョージ・ワシントン大学での10ヶ月間


任 哲

(第2期ITPフェロー、派遣先:ジョージ・ワシントン大学 欧・露・ユーラシア研究所)[→プロフィール




 -出張中の活動概要-


2009年10月から2010年7月末までの10ヶ月間、北海道大学スラブ研究センターが実施するインターナショナル・トレーニング・プログラムの下でジョージ・ワシントン大学のエリオットスクールにて在外研究を行った。受け入れ先である欧・露・ユーラシア研究所(IERES)は主にロシア、東ヨーロッパ及び中央アジア地域を研究対象とする組織で、政治学、歴史学、国際関係といった社会科学分野における優れた専門家が集まった場所である。現代中国研究を専攻とする私にとっては非常に新鮮な環境で、分野に束縛されず自由な研究生活を送ることができた。

10ヶ月の滞在期間を振り返ってみると、主に三つの期間に分けることができる。10月~12月の適応期間、1月から4月までの授業聴講期間、5月から7月まで夏季研究期間である。ここでそれぞれの期間における活動内容を簡単に紹介しよう。


適応期間(10~12月)の最大の課題は英語力向上であった。ITPの課題である英語発表、英語論文、会議組織すべてに欠かせないのが高い英語能力である。しかし、訪問研究員の身分では大学の英語クラスを聴講することができないので、自費で学外の語学学校に2ヶ月間通った。2ヶ月間の集中講義は語学の壁を乗り越えるにはほど遠いが、ある程度の自信につながる。年末になると、ジョージ・ワシントン大学、ジョージタウン大学、SAIS(Johns Hopkins)、Woodrow Wilson Center、Brookings Institutes、East West Center等の研究機関では多くの研究集会が行われるので聴講で忙しい時期であった。初めてのアメリカ滞在である私にとっても、新しい環境への適応は意外と順調であった。 [→続きを読む]


ITPでのオックスフォード滞在を終えて


乗松 亨平

(第1期ITPフェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センター)[→プロフィール




 ITPによる支援をいただき、2008年8月から2010年3月まで、約1年半にわたりオックスフォード大に客員研究員として滞在した(2009年8月以降は自費滞在)。今後のITPの参考までに、現地での研究・教育環境について簡単に記したい。


 スラブ研究センターITPの最大の特徴は、派遣者をポスドクに設定していることだろう。派遣者は教育課程に組み込まれるのではなく、独立した研究者として大学に所属する。これは、たいへん自由であると同時に曖昧な身分でもある。特にオックスフォードの場合、研究室を与えられないこともあり、大学のなかでの派遣者の位置づけが、本人にも周囲にも不明瞭になりがちだ。その点で、ITPの斡旋により、アンドレイ・ゾーリン教授に受入教官を引き受けていただけたことは、まことにありがたかった。研究指導だけでなく、渡英当初、ロシアに帰省中の氏の自宅を使わせていただいたり、毎学期、授業にお邪魔したりと、大学での寄辺となったのがゾーリン教授との関係だった。もともと学位をとったばかりであったし、いわば氏の指導学生といった気分で過ごした。 [→続きを読む]


ジョージワシントン大学で2回の研究集会 “China and Russia”, “Two Helsinkis” を組織して


任 哲

(第2期ITPフェロー、ジョージ・ワシントン大学欧・露・ユーラシア研究所に派遣中)[→プロフィール




 ITP事業の一環として、2010年2月18日と2月23日に2回の研究集会を開催した。第一回目のテーマは「China and Russia: A Comparative Perspective of Local Government」で、松里公孝教授(スラブ研究センター)と私がそれぞれロシアと中国の視点からの報告を行い、司会はジョージワシントン大学・欧・露・ユーラシア研究所(IERES)のディレクターであるHenry Hale教授が務めた。第二回目のテーマは「Two Helsinkis: The U.S-Helsinki Commission and the Helsinki Process (CSCE Process) in the Cold War」で、宮脇昇教授(立命館大学、ジョージワシントン大学訪問研究員)が報告され、司会は同じくHenry Hale教授が務めた。 [→続きを読む]


デイヴィス・センターでのラウンドテーブル"Eurasianism: Genealogies, Evolutions and Interpretations”を組織して


浜 由樹子

(第2期ITPフェロー、ハーヴァード大学デイヴィス・センターに派遣中)[→プロフィール




 2010年2月1日に、ITPの課題の一つであった研究会を開催した。
 8月下旬に初めてセンターに出向いたその日のうちに、私の受け入れに関して様々な労をとって下さったリズベス・ターロー氏とミーティングの機会を持ち、トレーニングプログラムの一環として、会議の組織の仕方を学ぶことが義務付けられている旨をお伝えした。私の渡米が8月下旬であったために、年度末までの開催となると、既にかなり時間が限られていた。そのため、秋学期のうちにコーディネーターのジョーン・ゲイブル氏を交えて何度か打ち合わせをし、おおよその時期、開催の規模を相談させていただくこととなった。準備のための時間が限られていること、ファカルティの方々はどなたも極めてご多忙であること、また、複数のプロジェクトが同時進行で、週を通じて常にセミナーを開催しているデイヴィス・センターの性質上、残念ながら、一日規模の会議を開催することはかなり難しいという結論に達した。その代わり、確実に人が集められるようセミナーの枠を一つお借りし、通常一人の講師をお迎えして行うセミナーの代わりに、複数のスピーカーが報告をする「豪華版」にしよう、ということになった。 [→続きを読む]


オックスフォードでのワークショップ「Immigration and National Identity in British History-Europe, Empire and Commonwealth」を組織して


溝上 宏美

(第2期ITPフェロー、オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センターに派遣中)[→プロフィール




 去る2010年1月18日、ITP事業の一環として、オックスフォード大学セントアントニーズカレッジにて、Immigration and National Identity in British History-Europe, Empire and Commonwealthと題してワークショップを開催した。会議の詳細については、会議プログラムをご参照いただきたい[→プログラム]。当日は、所属するセントアントニーズカレッジだけでなく、オックスフォード大学に属する様々なカレッジから25名ほどの方にご参加いただいた。反省点も多いものの、イギリスで自ら会議を企画し無事開催にまでこぎつけたことは私にとって大きな自信となった。今回の会議は前任者である乗松、平松両氏をはじめ、多くの人々のご支援なくしては実現しなかったものであり、未だ不自由な英語で冷や汗をかきながら右往左往する私を蔭ながら支えてくださった方々にこの場を借りて心から感謝申し上げたい。このような貴重な機会をいただいたことに対する感謝の意味も込めて、以下に会議開催までの経緯などを報告する。今後の参考にしていただければ幸いである。[→続きを読む]


ITP米国派遣の報告書

半谷 史郎

[→プロフィール

派遣場所:米国ハーバード大学デイビス・センター
滞在期間:2008年6月19日〜2009年3月27日




 「若手研究者インターナショナル・トレーニング・プログラム(ITP)」の派遣事業の一環として、米国ハーバード大学デイビス・センターで十ヶ月にわたって在外研究する機会を与えられました。滞在を終えて無事帰国しましたので、この間の活動について報告し、今後のプログラム運営の参考にしていただきたいと思います。




1.はじめに

 日本学術振興会が推進するITPプログラムは「若手研究者が海外で活躍・研鑽する機会の充実強化」をうたうものです。スラブ研究センターではこれを、日本の若手ロシア研究者が英語圏で積極的に発信できようになるための訓練の機会と位置づけ、募集の趣旨で「有力国際学会での研究発表、一流英文査読誌への投稿」や「研究企画・組織能力を身につける」ことを強調しています。

 しかし出発前から、この課題は荷が重すぎると感じていました。2008年春にITPの公募を見た時は、アメリカもハーバードも絵空事の別世界でした。応募の動機も、正直なところ、(後述しますが)訳している英語の研究書の原著者がいるからという軽いものでした。それが思いがけず採用されてしまい、英語もおぼつかないのに、本当にアメリカでやっていけるのだろうかと心配でなりませんでした。

 そこで渡米に当たって、スラブ研究センターの公式目標はそれとして、これを自分なりに消化して、内々にささやかな目標を立てました。[→続きを読む]


オックスフォード大学での会議組織報告

平松 潤奈

(第1期ITPフェロー、オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センターに派遣中)[→プロフィール


 2009年3月15日にオックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで開いた会議‘Cultural Creation of “Russian Reality”’(主催: ITP、組織者: 乗松亨平、平松潤奈、カタリーナ・ウール)の報告をさせていただきたい。


 ITP研究員としてオックスフォードに来た当初から、「派遣先でセミナーなどを組織する」という課題は念頭にあった。だが、雑事に追われ気がつけば一学期も終わり、本当に開催して事務処理を年度内(日本の)に完了しなければならないのだという切迫感に駆られはじめたのは、すでに2008年も暮れようとする頃のことであった。このスタートの遅れが、その後のあらゆる作業を困難にしてしまったのであるが、とりあえず、私たちのたどったプロセスを簡単に追ってみたい。[→続きを読む]


BASEESリポート

乗松 亨平

(第1期ITPフェロー、オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センターに派遣中)[→プロフィール


 去る3月28~30日にケンブリッジで開かれた英国スラヴ東欧学会(BASEES)の年次大会に参加した。その全体的な印象を報告させていただく。


 人文・社会科学をまたいでスラヴ・ユーラシア地域研究者を統合する英国最大の組織であるにもかかわらず、この学会の規模は決して大きくない。総会で配られた資料によると正会員は303人、大学院生や英国外研究者による準会員を足して計784人である。約60のパネルで約200人が発表する年次大会の規模は、非会員に支えられているのだろう。ちなみに年会費は正会員が25ポンド、準会員が15ポンドで、機関誌を発行しないこともありリーズナブルな額になっている。年次大会の発表エントリーの締切は9月、開催時期は3月末か4月初頭(日本の予算処理上はいささか悩ましい時期だが)、場所はケンブリッジ大学フィッツウィリアム・カレッジというのが通例のようである。 [→続きを読む]


AAASSでの発表について

半谷 史郎

(第1期ITPフェロー、ハーヴァード大学 デイヴィス・センターに派遣中)[→プロフィール


 2008年11月20日から23日にフィラデルフィアで開催されたAAASSの2008年度大会に参加し、発表する機会がありました。その体験について記したいと思います。


 発表したのは、「Russia's Great World War in Global Perspective: A Future Research Agenda」という、ロシアの第一次大戦を話し合うラウンドテーブルです。今までこの時代はちゃんと勉強したことがないので、何を話したものか、ずいぶん悩みました。最初は、年来の研究テーマのヴォルガ・ドイツ人について、第一次大戦のことをにわか勉強することも考えました。しかし薄っぺらな付焼刃では、日本人がロシアのドイツ人のことを英語で話すという何重にも屈折した問題設定を納得させる自信が持てません。結局、同じゼロから勉強するなら、日本人であること、日本語の文献が読めることを最大の利点に出来るテーマにしようと考え直し、「ロシアと第一次世界大戦」を日本から読み解くテーマとして、第一次大戦末期のシベリア出兵の日本における史学史を話すことにしました。折り良くロシア史研究会の2008年度大会に「シベリア出兵再考」のセッションがあり、最新の研究動向をつかみやすいことも決断の後押しになりました。 [→続きを読む]


第40回AAASSに参加して

杉浦 史和

(帝京大学、第1期ITPフェロー、ジョージ・ワシントン大学に派遣中)[→プロフィール


 2008年11月20日から23日までペンシルベニア州フィラデルフィアで開催された第40回AAASSに参加した。ITPへの派遣が決まってから初めてAAASSに入会したので報告はせず、専ら傍聴に徹した4日間であった。以下に簡単に印象を記したい。



 まず、規模の大きさに圧倒された。パンフレットによれば580あまりのパネルが予定されていたようで、セッション数は12もあった。筆者はこれまで欧州比較経済学会やモスクワ経済高等学院の国際シンポジウムに参加したが、AAASSはICCEES並みの規模で、また扱われるテーマの広範さにも目を見張るものがあった。筆者の問題関心から、主に社会科学、とりわけ経済や政治といったテーマの分科会にしか参加できなかったが、在米スラブ研究者の層の厚さを改めて目の当たりにした学会であった。 [→続きを読む]





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