ITP International Training Program



ITPの場をめぐって――ハーバード、オックスフォード訪問記

望月哲男
(2009年3月9日〜20日)


 3月9日から20日にかけて、ハーバード大学とオックスフォード大学を駆け足でめぐる旅行を行った。出張の趣旨は、新学術領域研究「ユーラシア地域大国」の遂行にあたって、アメリカやイギリスの関連研究者の関心を喚起し、協力を要請するというものだったが、もうひとつ別の目的もあった。いずれの大学も2008年度インターナショナル・トレーニング・プログラム(ITP)派遣研究者の方々がいる場所で、初年度の終わりにその健闘ぶりを拝見し、ついでに受け入れ側の事情などもうかがってきたいと思ったのである。


 ハーバードでの訪問先は、ロシア・ユーラシアの研究が専門のデイヴィス・センター。スラブ研究センターから客員研究員として滞在中のウルフ教授の案内で、まず数年前に新築された同センターのたたずまいを見学した。前回2000年に訪問したときとは場所も趣もかわった現代的なデザインのビルになっており、ライシャワー氏創立の日本研究センターも同居しているせいで、ソ連期の資料展示と日本式ミニ庭園などが混じっている感じが大変面白い。ITPで滞在中の半谷史郎さん、ウルフ教授夫人の中地美枝さんも、同じ建物内の研究室を利用しているが、それぞれ大変明るく、働きやすい環境に見えた。ご多忙の中、時間を割いてくれた所長のティモシー・コールトン氏は、スラブ研が行おうとしている新学術領域研究ほかの活動に興味を示し、両研究所の協定が現実的な実を結ぶことへの期待を表明していた。ITPプロジェクトについても、今年度の経験を踏まえてポジティヴな見方をしてくださっているようで、今後の推進に関しても、積極的な提言を持っているようにうかがわれた。昨年からの経済状況の悪化はアメリカの大学をも直撃しているが、そうした中で活動の質を維持することが、研究センターのリーダーの大きな課題となっていることが感じられた。


 11日にはウルフ教授のご努力で、両センターが共催という形式のセミナーを行うことが出来た。文学専門の筆者は、社会科学系のセンターでの報告テーマに迷った結果、「現代ロシアと日本におけるドストエフスキー、トルストイの受容」という概説的な話を行ったのだったが、幸いコールトン所長をはじめ、ロシア文化研究者のドナルド・ファンガー教授(『Dostoevsky and Romantic Realism』の著者で東大の沼野充義教授のもと指導教授)、以前札幌に滞在されたタマーラ・フンドロヴァさん(ウクライナ文学)などのご参加も得て、当方としても楽しく有益な時を過ごすことが出来た。


セミナーの様子、右から3人目が筆者[拡大]

ウルフさんの予言どおり、若い学生たちを含め、多くの人が日本の文化や社会そのものに関心を持っているのが感じられた。同日の夕刻に行われたディナーの席での談話会でも、日本の文化や制度に関する話題が関心を呼んで、当方の答え切れないような直接的かつ本質的な質問もたくさん出された。たとえば大学の人文系学問へのファイナンスの問題に対する筆者の回答が、どの程度リアルに聞こえたか、あまり自信がない(何かこういう状況の全体が、オリエンタリズムという観念とも、どこかで関係するようにも思われる)。それよりもうれしかったのは、以前国際ドストエフスキー学会で知り合ったブランデス大学のロビン・ミラー教授がたまたま会に参加してくれたことで、彼女の近著『Dostoevsky’s Unfinished Journey』について、最近の関心の対象だという彼女の父親と日本人との交流の歴史について、楽しく語り合うことが出来たのだった。


ディナーでの歓談[拡大]

 翌12日は、半谷史郎さんに終日お付き合いいただいて、図書館を中心にハーバードを見学し、さらにボストンの美術館等を回りながら、ロシア史をフィールドとする半谷さんの研究や滞在状況についてのお話をうかがった。研究内容や成果についてはいずれご自身が報告を書かれることだろうから、そちらに譲ることにするが、ハーバードの、とりわけ図書館の研究環境は特筆に価する。アメリカの大学図書館が日本やロシアに比べて、利用者の便宜という点で格段に優れているのは以前から感じていた。この10年ほどの間に、わが国の大学図書館の利用環境(開館時間や検索システム)もかなり改善されたが、しかしアメリカがそれを超えて進化しているというのが、今回の印象だった。一番象徴的なのは、書籍やマイクロ資料の複写利用のあり方で、ハーバードの図書館では複写機がパソコンと一体化しており、通常なら紙に複写印字されるものが、画像データとしてパソコンに取り込まれ、PDFファイルの電子データとしてUSBメモリに保存できるようになっている。(ついでに言うと、紙を利用しないので料金も発生しないという)。パソコンと接続しているのは、本を複写するコピー機だけではない。マイクロ・リーダーもパソコンに接続されていて、マイクロの画像も同様にPDFファイルの電子データとして保存することができる。旧ソ連の文書館で資料を書写していたような状況からすると、まさに別世界で、特にハーバードのようにマイクロ化された各国のアーカイヴ資料を大量に所蔵している場合、当該分野の資料利用において大きなアドバンテージを持っているということになる。後に半谷さんが見本として、ソ連期アーカイヴ資料(マイクロ)のPDF版(ソ連後期の日本におけるトルストイ展の計画をめぐって、在日ソ連大使館とソ連文化省との間に交わされた書簡)を筆者宛に電子メールで送ってくれたが、それを眺めても、効率化を追求するアメリカの大学のまっしぐらな姿勢が、ちょっとした空恐ろしさも含めて、感じられるのだった。

 なお図書館はすべて開架式で、数多くの本を手にとって眺めることができるが、書棚に収まりきらない本(割合は不明だが、かなりの数になると思われる)は郊外に巨大な書庫があって、そこに一括収納されている。蔵書の検索画面で書庫収納となっている場合、取り寄せボタンをワン・クリックすれば、翌日には指定の場所に届くシステムになっている。


半谷史郎氏、ボストン美術館前にて[拡大]

 研究自体とは別の滞在環境に関しては、やはりアメリカの大学都市の住居費の高さが問題と思われた。直接住居を拝見したわけではないが、半谷氏が住む大学に程近い(おそらく)質素なアパートの部屋代が、月額1600ドルもするという。通貨の換算レートにもよるが、これは一般的に見て、滞在費用(月額33万円程度)中、住居費が生活費や研究費を大いに圧迫するという構図である。ITPの研究員としては学生用の寮などの施設を利用できないことから生ずる状況だが、この問題をどのようにクリアーするかがITPとしても検討課題であることは間違いない(後に聞いたところでは、ハーバードのあるケンブリッジという町は、全米でも物価が高いところのようだ)。 いずれにせよ、従来主としてロシアを滞在研究の場としてきた半谷さんは、英語圏の新しい環境に大きな刺激を受けながら、将来の研究を構想しているように観察された。これまで半谷さんとじっくり会話したことがなかった筆者だったが、この期に個人史や研究活動史から趣味の落語鑑賞の話題に至るまでいろいろなお話をうかがって、その人となりに大いに興味を覚えた。



 ボストンの町は札幌と違わないほどの低めの気温だったが、13日に訪れたオックスフォードは好天のせいもあって大変暖かく、桜(に似た木)が花を咲かせ、木蓮がつぼみを膨らませていた。筆者にとっては初めての訪問だったが、種々のカレッジが何十も集まって大学というひとつの町をなしている様子は、きわめて想像力を刺激する光景である。中世の修道院から独立して発達してきたその経緯自体にも、妙に政治的だったり血なまぐさかったりするエピソードがふんだんに含まれていて、総じてアメリカの大学とはまったく違う歴史の現前を感じさせる。


セント・アントニー・カレッジ[拡大]

 ITPでオックスフォードに滞在しているのは乗松亨平、平松潤奈夫妻。半谷さんが歴史家であるのに対して、こちらは文学が専門である。受け入れ先は同大学のセント・アントニー・カレッジだが、専門の関係でニュー・カレッジのアンドレイ・ゾーリン教授(18世紀・19世紀ロシア文化論。「Кормя двуглавого орла...」の著者)およびカトリオナ・ケリー教授(ロシアモダニズム文化・ジェンダー論など。「Children’s World: Growing Up in Russia, 1890-1991」の著者)が指導教授となっている。


 乗松さんたちは昨年の夏からの滞在なので、まだ数ヶ月の研修期間を残しているが、会計年度の終わりに際して、同僚と協力して立派なシンポジウムを企画された。今回の筆者の訪問はそれにあわせたもので、3月15日、セント・アントニー・カレッジの気持ちの良い庭に面したホールで、終日研究会につき合わせていただいた。


シンポジウムの様子、中央が乗松亨平氏[拡大]

 シンポジウムのテーマは『Cultural Creation of “Russian Reality”』。いわゆる「現実」の像が文化的構築物であることを前提に、東西文化のコンテクストにおける他者認識の問題や、帝政時代と20世紀ソ連それぞれの文化イデオロギーの問題を絡めて、ロシア的現実像の動態を論じるという狙いである(詳しい趣旨とプログラムはhttp://src-h.slav.hokudai.ac.jp/itp-hp/event/event005.htmlを参照)。報告者は7名で、その中には『Russian literature and Empire』の著者のスーザン・レイトン氏(エディンバラ大学客員研究員:報告テーマは「ロシアのツーリズム、ナショナリズムと社会的アイデンティティ:大改革初期における自己と他者の表象」)や『Искусство как препятствие』などで有名なミハイル・ルイクリン氏(フンボルト大学客員研究員:「『世界で一番』――地下鉄のディスコースとテロルのディスコース」)も含まれている。2006年度にセンターの冬季シンポジウムに参加したシベリア史やユーラシア主義の研究者マーク・バッシン教授(バーミンガム大学)も、ケリー教授やゾーリン教授と並んで司会者の役を勤められた。大変豪華な顔ぶれによる、和気藹々としたシンポジウムである。平松さんの「スターリン文化におけるミメーシス的表象と暴力:ショーロホフの場合」、乗松さんの「ベストゥージェフ=マルリンスキーの『アマラート・ベーク』にみる『ロシア・オリエンタリズム』をめぐる議論」という報告も、それぞれの博士論文を発展させた充実した内容で、興味深い議論を呼んでいた(シンポジウムの詳細については、平松さんが報告を書かれる予定なので、そちらを参照されたい)。


シンポジウム参加者[拡大]

3月のイギリスで庭に面した窓を開け放って会議を行うというのは、おそらく大変恵まれた珍しい状況で、続いて行われたワイン・レセプションや夕食会も含めて、「夢のような」と言いたい経験だった。外国の環境にいながらヨーロッパ各地からゲストを招いて会を催すということは、企画・交渉から事務的な会計処理に至るまで、大変な努力を伴う作業だったと思われる。この快挙を成し遂げた乗松・平松両氏、および協力してコンフェレンスを準備した同僚のカタリナ・ウールさんに、感謝と賞賛の言葉を捧げたい。


ワイン・レセプション、右から2人目が平松潤奈さん[拡大]


 翌16日にはゾーリン教授が、ご多忙の中、ご自身の所属するニュー・カレッジでの昼食に招待してくださった。町の中心に近い歴史のある建物で(ニュー・カレッジといっても13世紀からあるそうだ)、何百年の古木を擁する美しい中庭、立派な礼拝堂、狭い階段を上ったところにある修道院のホールのような教職員の食堂など、すべてが大変に印象的だった。各国の文化文芸の研究はこのカレッジが中心で、ロシアから呼ばれたゾーリン教授も、ここでスペインやイタリアなどの専門家たちと肩を並べて、ロシア学の発展につとめているようだ。オックスフォードの各カレッジと大学全体との関係は、一口でいえぬほど複雑なもののようだが、大学の本部が大きな力を持っていることは確かなようで、人事などの問題をめぐっては、カレッジ内の意思決定と大学本部との交渉とに大変な労力が払われるようだ(なぜこのような話になったかというと、ゾーリンさんはこの後すぐに人事がらみの会議があって、ラテン系の同僚を相手に難しい交渉が控えているのだった)。ゾーリンさんは今年千葉大学に滞在研究が決まっているそうなので(受け入れは鳥山祐介氏)、来日の際には札幌での講演なども企画したいと思っている。ゾーリン氏を含めて、今回イギリスで会った何人かの人文系研究者が、日本での研究や日本人との共同研究に関心を示していた。スラブ研究センターの外国人客員プログラムにも、人文系の応募が増えて行くかもしれない。


アンドレイ・ゾーリン教授[拡大]

 今回はシンポジウム自体の印象が強く、乗松さんや平松さんの生活についてはあまり詳しくうかがう機会がなかったが、自分のペースを守り、周囲とも良い関係を作りながら、着実な研究生活を送っているように推測された。郊外に住んでいるお二人には自転車が欠かせない通勤手段だとのこと。これから初夏にかけての良い季節に、お二人がさらに実り多い滞在生活を続けてくれることを願うものである。



 筆者はこの後ロンドンに3日間滞在して帰国した。おりしもテート美術館でロートチェンコとポポーワのロシア構成主義美術に関するきわめて充実した展覧会が行われていたこともあり、イギリスにおけるロシア文化のプレゼンスを強く感じる旅となった。




(Update: 09.04.10)
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