ITP International Training Program



ICCEESにおけるパネルの組織

左近 幸村

(学術振興会海外特別研究員、ロシア科学アカデミー・サンクトペテルブルグ歴史研究所)



  私がICCEESストックホルム大会のために、本格的にパネルの組織に取り掛かったのは、2009年2月に札幌で開かれたスラブ・ユーラシア研究者のための東アジア学会の時である。レセプションの最後に、松里先生から「命に代えてでもICCEESのパネルを組織してね」と冗談交じりで(??)言われたのをきっかけに、動きだした。
 私がまず目をつけたのは、中京大学で日本法制史を研究している浅野豊美先生である。先生も東アジア学会に参加されたのだが、スラブ・ユーラシアが専門でないにも関わらず、最後まで残られて様々な議論に耳を傾けている姿が印象的だった。そこで、ひょっとしてと思って学会終了直後にICCEESへの参加を打診してみると、あっさりと快諾された。ただその際、治外法権を軸とした比較帝国論のパネルをやりたいという条件を出された。
  国際学会なので、一人は外国人の報告者が欲しいと思ったのだが、残念ながら私はそれほど外国に人脈を持っているわけではない。そこで、かつての指導教員である阪大の秋田茂先生に頼んで、人を紹介してもらうことにした。紹介されたのは、ブリストル大学で中国における租界地の歴史を研究している、ロバート・ビッカーズ先生だった(『上海租界興亡史』(昭和堂)という邦訳書が出ている)。ビッカーズ先生にメールを送ってみたところ、私は参加できないが、代わりにということで、弟子のキャサリン・ラッズ先生を紹介された。ラッズ先生は、中国の海関における外国人スタッフの研究で学位を取った人だが、メールでICCEESへの参加を打診したところ、そういうことならロシア人スタッフを取りあげましょうということで、参加を快諾された。


  こうして報告者が決まり、パネルのタイトルを"Comparison between Russian, Japanese and British Empires: the Extraterritorialities in East Asia"とした。だがパネルとしてICCEESのほうへ参加を申し込んだ際は、討論者と司会者は事実上未定であった(一応、仮の名前を書いておいたが)。プログラムが発表されてから、その中から討論者と司会者を探せばよいと高を括っていたが、実際にプログラムが発表されてみると驚いた。シベリア、極東、東アジアに関する報告が数えるほどしかない。ヨーロッパの研究者が中心となっている学会なのだから、当然と言えば当然かもしれないが、しかしシベリアをテーマにしたパネルが1つしかないというのは、少し予想外だった。何人かの知り合いの日本人研究者に司会や討論をお願いして、断られた後、思い切って唯一のシベリアのパネルから討論者を探すことにした。幸い、私のパネルの前日である。試しに、そのパネルの報告者であるEva M. Stolbergという名前をグーグルに入れて検索してみると、シベリアの歴史を研究しているだけでなく、どうも東アジアの歴史にも関心を持っていそうだということが分かった。そこでネット上に公開されていた彼女のアドレスにメールを出してみると、2日後に討論者を引き受けるという返事が来た。その後、司会を長縄宣博先生に引き受けていただき、パネル作りは完成した。結果的に、日本人3、イギリス人1、ドイツ人1という、国際学会にふさわしい構成になったと思う。


  私の報告の題目は"Whose is the Amur River? : Russo-Chinese relations in the last years of the Russian Empire"というものだったが、治外法権の問題をどう盛り込むかで、苦労した。結局、ペテルブルグのアルヒーフで見つけた海関スタッフに関する史料を用いて、ラッズ報告との関連性を出すことにした。私の報告自体については、いくつも反省点があるものの、治外法権という今まであまり考えてこなかったテーマを課されたことで、この機会にいろいろと学ぶこともできた。 私が国際学会でパネルを組織したのは、東アジア学会に続いてこれが2度目である。最初のうちは、日本の見ず知らずの若者が送ったメールに、外国の研究者が返事をくれるのか、ましてやパネルに参加してくださいと言って、参加してくれるのだろうかと不安に思っていたが、実はこれが思った以上に上手くいくことが分かった。仮に断るにしても、丁重な文面であることが多い。確かにパネルへの参加要請というのは、その人の研究を評価している証拠なのだから、発表の場がちゃんとした公の場であり、パネルの趣旨が興味深いものならば、都合がつく限り、参加要請にこたえたいと思うのは当然なのかもしれない。 また、浅野先生やラッズ先生のように、直接ロシアを研究していなくても、実はロシアに関心を持っている人は案外多い。こうした人は、しばしば意外な視点を提供してくれる。私のパネルで一番多く質問が出たのはラッズ先生の報告だが、確かに海関のロシア人スタッフに着目するというのは、これまでのロシア史研究者にはなかった発想である。


  パネルを作る過程は、あまり心臓によくないかもしれないが、そのかわり上手くいけば、研究上のネットワークを確実に広げることができる。パネルの組織者ともなれば、必然的にメールのやり取りも多くなり、手間も増えるかわりに、こちらの名前を強く印象付けられるからである。 国際学会で2度パネルを作ったというのは、いい経験だったので、今後この経験を活用していきたい。

2010年8月10日

[Update 10.08.23]




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