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ICCEESストックホルム大会に参加して油本真理(東京大学大学院) これまで、日本以外ではロシアでの学会や研究会に顔を出した程度の経験しかなく、他の国際学会や欧米の学会との比較をすることはできない。しかし、それでもそこで一院生が受けた印象を書きとめておく意味もあるだろうと考えるに至った。 大会の場において何よりも考えさせられたのは、(国・地域ごとの)研究の「文脈」を超えることの難しさである。例を挙げるとすれば、新思考外交をめぐるパネルにおいては旧ソ連圏からの研究者からの実質的な反応がほとんどなかった一方で、世論調査結果に基づいてロシアのアイデンティティをめぐる問題を取り扱ったパネルでは、ここはロシアかと見まがうほど、ロシア語での議論が盛り上がる様子が観察された。個人提案を集めたパネルにおいても、それに類似した傾向があったように思う。研究というものが、ある程度までは目に見える読者・聴衆との対話という形で行われるものである以上、共有しているものが少ない聴衆との間でうまくキャッチボールをするのは至難の業なのかもしれない。いくつかのパネルを聴いた後、場を共有することで交流の輪が広がっていくようでいながら、結局のところ心底分かり合うことなど不可能なのではないか、そうであるとすれば、苦労してこのような場に出てくることに何の意味があるのだろう、という疑問が頭をよぎらないこともなかった。 しかし、その印象は、自分の報告を終えた後で若干修正された。報告は中途半端な内容にとどまり、果たして自分の考えていることがきちんと伝わったかどうかはなはだ心もとなかったのであるが、ふたを開けてみれば思ったよりは伝わったような感じもあり、もしかすると、より多くの人と分かり合うことができるのではないか、という淡い期待を抱くきっかけにもなったのである。もっとも、国際的な場において、それぞれの研究者が背負っている「文脈」を乗り越える、あるいは、それらをあえてぶつけ合うことによって正の相乗効果を生み出すためには、個々人のたゆまぬ努力が必要とされることは言うまでもない。今回、半ばあきらめ(あるいは呆気にとられ)気味であった自らの態度を戒めつつ、そのような参加者に対してもコメントや叱咤激励をしてくださった方々の懐の深さに感じ入り、感謝する次第である。 |
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