ITP International Training Program



ITPでのオックスフォード滞在を終えて


乗松 亨平

(東京大学 文学部助教)[→プロフィール




 ITPによる支援をいただき、2008年8月から2010年3月まで、約1年半にわたりオックスフォード大に客員研究員として滞在した(2009年8月以降は自費滞在)。今後のITPの参考までに、現地での研究・教育環境について簡単に記したい。


 スラブ研究センターITPの最大の特徴は、派遣者をポスドクに設定していることだろう。派遣者は教育課程に組み込まれるのではなく、独立した研究者として大学に所属する。これは、たいへん自由であると同時に曖昧な身分でもある。特にオックスフォードの場合、研究室を与えられないこともあり、大学のなかでの派遣者の位置づけが、本人にも周囲にも不明瞭になりがちだ。その点で、ITPの斡旋により、アンドレイ・ゾーリン教授に受入教官を引き受けていただけたことは、まことにありがたかった。研究指導だけでなく、渡英当初、ロシアに帰省中の氏の自宅を使わせていただいたり、毎学期、授業にお邪魔したりと、大学での寄辺となったのがゾーリン教授との関係だった。もともと学位をとったばかりであったし、いわば氏の指導学生といった気分で過ごした。




セントアントニーズ・カレッジ

 ITPフェローの所属機関となるセントアントニーズ・カレッジは、社会科学による地域研究に特化した、大学院のみの小規模カレッジである。第二次大戦後に設立され、大学では最も新しい部類に入る。イギリス階級社会の支配層を再生産する組織であり、全般にスノッブな雰囲気をもつオックスフォードにあって、セントアントニーズは、アジア・アフリカなどの学生に広くひらかれ、日本人にも馴染みやすいカジュアルなカレッジといえよう(イギリスにおける日本研究の拠点もある)。冷戦期からカレッジの中核を担ってきたロシア・ユーラシア研究センターは、旧ソ連地域・東欧の現状分析・外交関係にとりわけ強い。以前は文学関係のスタッフもいたようだが(『19世紀ロシアの作家と社会』の邦訳もあるロナルド・ヒングリーなど。最近亡くなり、カレッジでは半旗を掲げていた)、私が専門とする文化研究は現在ではマイノリティで、どちらかといえば、政治・経済・歴史を専門とする人に益の多い環境だと思われる。


 ただし、カレッジの主要な機能は、所属する者の生活基盤を提供することであり、研究面ではカレッジ間にほとんど垣根はない(研究上の基本組織となるのは学部だが、カレッジと学部の関係は複雑で私の理解を超えていた)。私もさまざまなカレッジで、学生に混じって授業を聴講した。授業は1コマ60分、その多くはいわゆる知識詰め込み型の講義で、学生たちは必死にノートをとりつづける(試験は年度末にまとめて行われ、学生は正装で――黒いガウンの胸に、試験日により異なる色の花を飾って――臨む)。自分もずいぶん勉強をさせてもらった。ただ、より印象に残ったのは、この支配的スタイルとは異なり、ゆっくりと、しかし明確な論理をもって語られていくゾーリン教授の授業や、美学理論の授業であった。また、オックスフォードは保守的な学風という印象が強いが、文学理論概説の授業では今日のマルクス主義系批評もそつなく押さえられていたし、女性学は独立した学科をもち、多くの学生でにぎわっていた。もっとも、社会学専攻の友人によれば、一貫して計量社会学の方法論をたたきこまれ、理論や思想面についてはほとんど学べなかった、とのことであった。




カレッジ対抗ボート大会。手前がセントアントニーズ・チーム

 授業は講義のほかに、大学院ではセミナーもある。セミナーは、事前に配られたリーディング・リストに基づき、討論中心に進むのが通例で、私も啓蒙主義学科のセミナーに紛れ込んだが、英語の不如意な身にはいささか過重であった(詳しくは別所で紹介した)。また、授業以上に重要とされるのが、チュートリアルと呼ばれる個別指導である。セミナー同様、学生が課題図書を読んできて考えを述べる、というのが一般的なかたちのようだ。オックスフォードの教員は、授業は週2コマ程度しか担当しないが、このチュートリアルが大変なのだと聞いた。


 これとは別に、大学院生や教員、学外からのゲストによるリレー講義もセミナーと呼ばれ、私が通ったロシア文学セミナーや、ロシア・ユーラシア研究センターが毎週ひらいている「月曜セミナー」はこちらであった(ただし、前者は小教室で10~20人程度、後者は講堂で100人超の規模)。ロシア文学セミナーには、ゾーリン氏のほか、カトリオーナ・ケリー氏、デヴィッド・ベセア氏の教授陣が臨席し、ゲストもローラ・エンゲルスタイン氏やエヴゲニー・ドブレンコ氏など、豪華な顔ぶれを含んでいた。ゾーリン教授のご厚意で、私も発表の機会を与えられ、諸先生方の貴重な意見を伺うことができた。


 こうした人的交流は、私の通った日本の大学との大きな違いであり、それまで書物を通じてのみ知っていた多くの学者に、滞在中、直接お目にかかることができた。特に、ITPの課題として2009年3月に組織した会議では、自分の専門分野のトップレベルの研究者と詳しく意見交換でき、たいへん励みになった。とはいえ、このような交流が、自分自身の研究の実質にいかほどの実りをもたらしたかは別の話である。世界のスラヴ・ユーラシア研究とのつながりが芽生えた、という思いは励ましにこそなれ、実際には超えねばならない壁は高い。




ゾーリン、ケリー両教授の所属するニュー・カレッジ

 第一の壁は、むろん英語力である。とりわけ、資料・データそのものよりその解釈を業とする文化研究は、論理を叙述する言語への依存度が高い。英語をグローバル化時代の単なるコミュニケーション・ツールと割り切ったのでは通らない。加えて、研究動向から論述形式まで、大小さまざまな約束事の違いがある。渡英前には、学際化の進む英語圏ではディシプリンが緩いという印象があったのだが、まったくの誤解であった。先行文献の網羅的参照や「新しさ」の要求は、日本よりはるかに厳しいと感じた(逆にいえば、外国での研究を紹介すれば「新しい」というような状況に、日本では甘えていたことを思い知った)。今後も長い時間をかけて、これらの壁に挑んでいきたい。


 難しいのは、異なる環境への順応が、単に約束事を学んで実践して、という具合にはいかないことだ。約束事は機械的・事務的なものではなく、研究上の価値観に関わっており、たとえば英語圏で「受け」のよさそうなテーマや方法でも、自分がそれに価値を見出せるとはかぎらない。むしろ、安易な「受け」に抵抗し、異なる環境にただ順応しようとするのではなく、それと自分の価値観とを折衝することから、真に生産的な成果が出てくるのかもしれない、とも思う。


 教育・研究のほかにも、歴史ある街で、さまざまな発見に満ちた日々を送ることができた。個人的には、階級・移民社会というものを肌身に知ったことが大きい。


 末筆になりましたが、派遣・滞在に際してお世話になった、松里先生、望月先生をはじめとするスラブ研究センターの諸先生方、事務の方々、オックスフォード大のゾーリン先生、ケリー先生、ロシア・ユーラシア研究センターのリチャード・ラメージ氏に、深く感謝申しあげます。


(Update:2010.06.15)





Copyright ©2008-2010 Slavic Research Center   |  e-mail: src@slav.hokudai.ac.jp