ITP International Training Program



ジョージワシントン大学・IERESでのセミナー企画報告


花松 泰倫

(ITP第3期フェロー、派遣先:ジョージワシントン大学 欧・露・ユーラシア研究所)[→プロフィール][→プログラム




2011年3月4日にジョージワシントン大学にて開催したITPセミナーについて若干の報告をしたい。


ITPフェローとして米国ジョージワシントン大学、欧州・ロシア・ユーラシア研究所(IERES)への派遣が決まり、ビザ取得等の手続きに数ヶ月を費やした後、8月中旬にようやくワシントンDCに到着したとき、私の頭の中にセミナー企画に対する明確なビジョンがあったわけではない、ということをまず告白しなければならない。海外に長期に滞在した経験がそれまでまったくなく、まして渡米は初めての経験という未熟な自分にとって、いずれ向き合わなければならないであろうセミナー企画のことよりも、米国での生活の基盤を整えることと、短期間のうちに拙い英語力をどう向上させるかという問題のほうがはるかに優先順位は高かったのである。前任者の任哲さんに紹介頂いた語学学校に通いながら、ようやく本格的にセミナー企画に向き合うようになったのは、9月も終わりに近づいた頃であったように思う。


同時期に派遣された他のITPフェローの方たちの話を聞く限り、彼らの派遣先の様子とは違って、IERESは大変自由な空気をもつ研究所のようである。受け入れ教官になっていただいているIERES所長のHenry Hale教授のもとへ初めてセミナー企画の相談に行ったときにも、それほど明確なサジェスションや忠告があったわけではなく、ただただあなたがやりたいテーマで、呼びたい人を呼べばよい、というふうな具合であった。これはひとつには、彼自身がウクライナ政治を専門として、私が研究する北東アジア地域にそれほど明るくないということがあったのかもしれない。また、渡米してから気づいたことではあるが、スラブユーラシア研究という範疇において、エネルギー問題から離れた形で「環境」を扱う研究は多くはなく、実際、IERESには環境問題はおろか、エネルギー問題を扱うスタッフさえ当時はいなかった(エネルギー問題が専門のRobert Orttung教授がIERESに来られたのは1月になってからであった)。そして当然のことながら、テーマや人選について相談できるような米国の研究者は私にはまったくいなかった。ここから、まさに「自由の不自由」に悩まされる日々が始まった。


テーマとして渡米前よりぼんやりと思い描いていたのは、多国間環境協力に関する北東アジアとバルト海の比較研究というものである。私の研究主題はアムール・オホーツク生態系をめぐる日中露の多国間環境協力であるが、以前よりある種の手詰まり感を感じていたこともあり、バルト海の環境協力を一つのモデルと捉えてそこから何らかの手がかりを得ようと考えた。それゆえ、バルト海環境協力に関する論文や書籍を随分と読みあさったのだが、なかなか思うように研究者が見つからない。私の探し方に問題があったのかもしれないが、バルト海環境政策の研究者の多くは北欧や英国、ドイツに集中しており、在米の研究者は皆無に等しかった。ITP予算の都合上、また私が米国に滞在しているという観点からも、ヨーロッパやアジアなどの海外から招聘するという選択肢は当時の私にはなく、米国国内から2,3人を呼んでワークショップ形式にするつもりであったため、随分と焦った。そんな中で、テーマとの整合性に問題を感じつつも、2人の米国研究者をピックアップし、急いでインヴィテーションメールを書き上げて送った。別の仕事で日本に帰国する直前の、10月終わりのことである。




ところが日本から帰って来て待っていた返事は、芳しいものではなかった。一人にはやはりテーマに沿うような話はできないと断られ、もう一人は、すでに温暖化問題などの別のテーマに関心を移しているので気が進まないというような返事であった。何通かメールのやりとりをしたあげく、最終的には後者の方についても断念という結果になった。これが11月半ばのことである。


絶望感に苛まれ、テーマの再検討も考えなければならなかったが、ここから私はまた別の仕事に集中せざるを得なくなっていった。12月15日にワシントンDCにあるシンクタンク、東西センター(East West Center)において、北東アジアの環境エネルギー協力に関するセミナーがあり、企画者であったスラブ研究センターの岩下教授から報告を依頼されていたからである。その間、報告の準備に時間を費やしながらも、お隣のジョージタウン大学で歴史を専攻している知り合いの研究者に頼み込んで、ソ連環境史の研究者を紹介してもらう話を進めたり、招聘予算が増額されたのを機に方向を転換してヨーロッパから一人だけ招聘して何とか形にするというようなことを考えたりもしていた。また、スラブ研究センターITPプログラムのスタッフからは、予算消化の問題からセミナー日程を早く確定するように催促され、縮み上がるような気持ちで随分と苦しい思いをしたことを覚えている。


ところが、東西センターでのセミナーで思いがけない出会いがあった。私の報告にコメントをしてくださったのはStephen Blank教授で、彼は辛辣なコメントをすることで定評のある論客であるが、私の報告に大変親身にコメントしていただいただけでなく、北東アジアの環境協力についてはこの人に話を聞いた方がよいということで、セミナー終了後にElizabeth Wishnick女史を紹介してくださったのである。次の日、私はまさに藁にも縋る思いでWishnick女史にメールを書いた。初めはセミナー招聘のことは話さずに何度かメールのやりとりをしたのであるが、とても好意的な返事をいただいたので思い切って尋ねてみると、とても興味があるので企画のプロポーザルができたら是非読ませて欲しいと言われた。ここに来てようやく、一人だけでも呼べるかもしれないという安堵感を感じることができたのである。同時に、知り合いの紹介さえあればこうも簡単に進むものなのか、と驚いたものである。


年末の差し迫る中、再びHale教授に相談して(実はWishnick女史はIERESの関連プロジェクトに参加したことがあって、Hale教授とはすでに知り合いだった)インヴィテーションメールを書き直し、Wishnick女史に送った。時間も差し迫っていたし、私はバルト海との比較という当初の計画は諦め、北東アジアの環境政策について多面的に検討するという少々無難なテーマに落ち着かせることにした。返事は年明け早々に届き、快く承諾して頂いた。


具体的なテーマ設定の前にWishnick女史招聘が決まったので、その後の戦略は自ずと見えていたように思う。彼女だけの招聘という方向も考えたが、せっかくやるならば複数のスピーカーに報告してもらう方が望ましい。彼女の研究は中国からの視点がメインなため、他にロシアや韓国の側からの視点が欲しかった。年末にWishnick女史招聘の実現可能性が高いと判断した直後、その線で私は再び関連文献との格闘を始めた。ここでも在米研究者はなかなか見つからず憂鬱な日々が続いたが、ようやくこの人だと思える人物にたどり着いた。ロシアの環境政策とNGO活動について最近本を出していたLaura Henry女史と、ある韓国人研究者である。Hale教授に相談すると、今度はHenry女史には相当に興味が持ったようで、彼女を是非呼んで欲しいとまで言われた。少し手を加えたインヴィテーションメールを二人に送ったのは、セミナー開催期限が1ヶ月半後と迫った、1月中旬のことであった。




次の日、Henry女史から快諾の返事をいただくことができた。まったく見ず知らずの客員研究員からの突然のメールにもかかわらず、彼女は招待されたことを大変喜んでくれ、それを見て私もとてもうれしかった。もう一人の韓国人研究者の方も後になって承諾の返事をいただくことができたが、こちらのほうは最終的に日程が合わず、断念することになった。それでも、中露両方の視点があれば、あとは私の報告でバランスをとって北東アジアの環境地域協力の議論ができるので、私にとってはそれで十分であった。


次に日程の調整に入ったが、どうしても2月中に全員の都合を合わせるのは難しいということがわかった。2月中には企画を終わらせるように言われていた私はまたしても不安になったが、幸い、ITPプログラムスタッフから3月上旬開催でも可能という連絡を受け、ようやく日程を3月4日に確定するができた。1月も終わりかけていた頃である。


それからしばらくは、招聘者との旅費などに関する事務的なやりとりや当日の議論内容に関する打合せなどで日々が過ぎて行った。丸1日メール書きしかしなかったという日もあった。しかし、イベントが開催できないかもしれないというその前の危機感に比べれば、随分と楽な気持ちで準備に当たることができた。また、自身の報告については12月の東西センターでの報告とほとんど同じものになるという目算があったので、事務手続きと全体のコーディネートに専念することができたことも大きかったと思う。他に、会場予約、フードの手配、外部への宣伝、ポスター作り、当日の会場セットアップなどはすべて、IERES事務員のCaitlin Katsiaficas女史にやっていただいた。甘えてはいけないと思いつつも、毎週数回行われるIERESのセミナー事務をすべて仕切っている優秀な彼女にとってはそれほど苦労はなかったようで、自分が何もしなくても勝手に進んでいく様子をみて不思議な気持ちになったりもした。直前に同じジョージワシントン大学エリオットスクールのSigurアジア研究センターから協賛の申し出があり、少し広い部屋に会場が変更になったり、環境研究で有名なシンクタンクWorld Watch Instituteからビデオ録画とインタビューのリクエストがあったりしたが、準備は概ね順調に進んでいった。


当日の司会はHale教授に務めていただいた。大変多忙なスケジュールにもかかわらず、最初の企画相談の段階で快く引き受けてくださっていた。また北東アジアの環境協力というテーマは歴史の浅い比較的新しい研究領域で、いわゆる重鎮と言われる人がほとんどいない。Wishnick、Henry両女史とも私の年齢に近い、どちらかといえば新進気鋭の研究者という感じであった。そのためもあってか、当日のセミナーは、これまた大変自由な雰囲気で行われた。参加者の数は30人ほどで、アジア研究センターの協賛ということでアジア人の学生や研究者、SAIS(ジョンズ・ホプキンズ大学)の研究者、またかつて極東で森林開発の仕事をしていたという在野の方の参加もあるなど、多彩な顔ぶれであった。


Wishnick女史は中露のパイプラインおよび環境に関する相互関係について検討し、それを "frenemy"という言葉で整理するというものであった。またHenry女史は極東の森林保護政策、特に近年始まった森林認証制度の可能性と問題点を検討するという、これまた刺激的な内容であった。お互いの報告を聞いて驚いたのは、これは示し合わせたわけではなかったが、3人が具体的事例として取り上げたもののいくつかがオーバーラップしていたことである。これは私自身の研究の進展にとってはかなり幸運なことであったし、セミナーの最中から3人の中に妙な親近感が生まれたということがあった。ただ、逆にセミナー全体のコンセプト、あるいは聴衆の目からみれば、ややこじんまりとした議論の広がりに欠けるセミナーだったと言えなくもない。3人の間で立場の基本的な相違がなかったため、当初目論んでいたような3人の間でのラウンドテーブルというよりは、聴衆からの質問にそれぞれが答えて知識や認識を補完し合うという具合に進んでいった(そもそも会場の変更に伴って、すでに「ラウンドテーブル」ではなくなっていたが)。


悔やむべくは、私が報告の中で簡単に指摘したバルト海海洋環境協力の事例に興味を示し、北東アジアとの比較の重要性を理解していただいたことである。やはり、当初の予定であったバルト海との比較という要素をもう少し何とかしたかったなというのが率直な感想であった。


それでも、予定していた2時間という時間ではまったく足らず、終了後も多くの聴衆が残って招聘者や私を囲んで議論できたし、その後にスケジュールされていたIERESの懇親会に場所を変えて話は続いていった。また、招聘者や司会者、何人かの聴衆の方にも良い企画だったと言っていただき、重圧から解放された安堵感と充実感を同時に得ることもできた。私自身の報告と質疑への 応答はまったく恥ずかしいものであったのだが、他の方のお力とサポートのおかげで企画全体としてはうまくいったのではないかと思う。野球に例えて言うならば、自身は三打席凡退であったが、チームは快勝した、というところであろうか。今回はセミナー企画の成功に主眼があったので、それでよかったのではないかと私自身では思っている。


とは言うものの、企画プロセス全体を通して振り返るとやはり問題点が多かった。本格的に取り組むのが遅すぎたこと、そもそも渡米前にやるべき事前リサーチを怠っていたこと、テーマ設定に無理があったこと、などなど。それらも含めて私にとっては得難い貴重な経験となったわけで、これらを次のステップへ生かすことが私の課題となる。


また、このようになんとかイベント開催を間に合わせることが出来たのは、ひとえにIERESとスラブ研究センターのサポートのおかげである。イベントが間に合わないかもしれないと泣きそうな顔で相談に来た私を笑顔で励ましてくださったHale教授、どんな頼みにも二つ返事で引き受けてくださったCaitlin女史には、本当に助けていただいた。また、ITPプログラムスタッフの越野さんと阿部さんには、事務手続き等で大変なご心配、ご迷惑をおかけし、また多大なサポートをいただいた。心よりお詫びと御礼を申し上げます。さらに、同時期にITPで派遣されていた青島さんと中村さんにも感謝いたします。派遣先で各々が孤軍奮闘することでスキルアップするというITPフェローの趣旨に反するかもしれないが、お二人との情報交換にはどれほど助けられ、励まされたかわからない。


最後に、このような貴重な素晴らしい機会を与えていただき、スラブ研究センターITPプログラム関係者の皆様に対して、心より感謝申し上げます。


(Update:2011.03.09)





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