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オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジでのセミナー報告中村 真(ITP第3期フェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校)[→プロフィール][→プログラム] 筆者は、「Conflict and Coexistence of Ethnic and National Identities in Russian, Central and East European Music」というテーマを掲げたセミナーを2011年2月16日にオックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジで開催した(プログラムは、次のリンク先を参照されたい[→Click] )。セミナーの企画と運営を行っていた際には、不自由な外国語である英語を用いて学術的な集会を企画・運営することなど本当にできるのか——という不安をつねに抱いていた。また、筆者の研究が英語圏の研究者たちに通用するかどうかということについても不安だった。だが、実際にセミナーを開催してみると、そうした不安は一掃され、研究者としての自信を得ることができた。 そこで、拙稿では、上記のセミナーを開催するに至るまでに経験したさまざまな試行錯誤の過程について簡単に報告したい。 * 7月下旬にオックスフォード入りしたものの、英語圏の国に足を踏み入れること自体がまったくの初めてだった。そのために、最初の2か月間は、オックスフォードでの生活基盤を整備することと大学内外でのさまざまな習慣に順応することに時間を費すこととなった。滞在中の課題であるセミナーの開催については、9月に入ってから考える余裕がやっと出て来たという始末だった。そのような中、セント・アントニーズ・コレッジへの受け入れを担当して下さったアレックス・プラヴダ先生、そしてチェコ音楽史がご専門のジョン・ティレル先生(カーディフ大学)のお二人から、セミナー開催に関する実践的なアドバイスをいただいた。お二人の意見を踏まえて、セミナーは学期内の1月末から2月初旬の平日の午後に開き、発表者は筆者を含めて多くとも5人以内の小規模なものにする――ということにした。おおよその日程と規模を確定し得たものの、すでに9月末になっていた。 セミナーのテーマを明確にし、会の主旨を発表者に向けて説明した招待状へ練り上げてゆくための作業に本格的に取りかかれるようになったのは、10月に入ってからのことだった。渡英前からすでに、19世紀や20世紀の中東欧やロシアの音楽における文化的なアイデンティティの問題を多民族社会という観点から考える会にしよう――と漠然と考えていた。とは言え、どのようにテーマを設定し、招待状を準備すれば良いのかまったく見当が付かなかった。そこで、イギリスの音楽学者が開く学会やセミナーの Call for papers をウェブ上でいろいろ集めてみて、おおよその分量や書き方の見当を付けた。また、日程や謝礼の提示に関する実際的なことがらについては、ハーヴァード大学デイヴィス・センターへ派遣されている青島陽子さんからいただいたアドバイスも参考にした。また、招待状を準備し始めた頃からイギリス各地の音楽学者数人と連絡を本格的に取り始めて、招待状の草稿を見ていただいた。いろいろなアドバイスをもとにして推敲を繰り返し、11月初旬になってようやく招待状を完成させた。[→Click] セミナーの組織を行う際に最も難航したのは、発表者の人選と日程をすり合わせる作業に他ならない。会の主旨を説明した文書を「Call for papers」ではなく「招待状」と銘打ったところからも窺えるように、発表者を集める際には公募を行わなかった。ウェブ上で公募を行うにはすでに時間がなかったからだ。オックスフォード大学で個人的に研究上のアドバイスをいただきたかった音楽学者や、かつてセント・アントニーズ・コレッジでロシアの文学や音楽について講じておられた方がきわめてご多忙であるために、秋口に入ってもコンタクトを取ることができなかった。二人からの返事をただ待っているだけでは、どんどん時間がなくなってしまう。そこで、イギリスの他の大学にいらっしゃる音楽学者に発表者としてふさわしい方々を紹介していただくという路線に変更することにした。発表者を探すに際しては、発表内容に偏りが出ないようにするために、あらかじめ二つの条件を設定した。一つは発表で扱う地域をロシアと中東欧のどちらか一方に偏らないようにすることであり、もう一つは発表の内容を芸術音楽とそれ以外の音楽(民俗音楽やポピュラー音楽)のどちらかに偏らないようバランスを取ることだった。 適任者を探す際には、2つのルートから行った。一つ目のルートは、大阪大学の大学院で筆者の博士論文の主査を務めて下さった伊東信宏先生のお知り合いで、ハンガリーの現代音楽を専攻されているレイチェル・ベックルズ=ウィルソン先生(ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校)に適任者を紹介していただくというものだった。もう一つのルートを開拓できたのは、今思うとまったくの偶然のなせるわざだった。アンドレイ・ゾーリン先生が主宰するスラヴ文学セミナーでケンブリッジ大学出身のフェローとたまたま知り合ったおかげで(ゾーリン先生のセミナーに顔を出していた理由を説明するとものすごく長くなるので、ここではあえて割愛する)、ロシアの芸術音楽におけるナショナリズムに関する大著を刊行されたマリーナ・フロロヴァ=ウォーカー先生(ケンブリッジ大学)を紹介していただけた。すぐに自己紹介とセミナーの主旨を説明したメールを送ってみたところ、ケンブリッジまで一度話をしに来なさいという返事をいただけた。こうして、二人からさまざまな人の仕事の内容や連絡先を紹介していただいて、自己紹介と招待状を添えたメールを次から次へと送付していった。もちろん、メールを出しても日程が合わないために断られたり、返事をまったくいただけないということも多々あった。だが、断って来られた方の中には、会にふさわしい方を紹介して下さる方や、プログラムができたら宣伝してあげるよ――とおっしゃって下さった方もいらっしゃった。実際に人選の作業を始めてから1か月弱で、3人の方にセミナーでの発表を快諾していただけた。だが、ある方からは、招待状に掲載した日程だと大学での授業の関係上無理だが、招待状には書かれていない2月16日だったら大丈夫だという連絡を受けた。そこで、他の2人にこの日のご都合について伺ってみたところ、幸いなことに問題ないという返事をいただけた。こうして、11月の末頃に発表者全員と開催日時の双方を確定させることができた。会場については、ロシア・ユーラシア研究センターの方々のご厚意で、同センターの図書室を使わせていただくことになった。 12月に入ってようやく、発表者の方々の旅費や謝礼に関する事務処理を行うかたわらで、自分自身の発表原稿の準備に取りかかれるようになった。当初はオックスフォードへ来てから考え始めた問題についての発表を行うことを考えたが、そうするには時間がなかった。また、ITPにおける長期派遣の主旨を考えても、新たな情報を中途半端にインプットして発表を行うことよりも、これまでじっくり取り組んできた研究の集積を英語を用いて効果的にアウトプットする技法を自分なりに案み出してゆくことの方が、今の筆者にとっては重要である――と判断し、あえて博士論文の一部分に基づいた発表を行うことにした。とは言え、原稿を作成している際には、筆者が日本で行っていた研究が英語圏の諸国で教育を受けた研究者たちにきちんと通用するかどうかつねに不安だった(ユディット・フリジェシ、オーリガ・ヴェリーチキナの両氏は、アメリカで博士号を取得された)。入学試験を受ける直前の受験生のような心境だった、と言っても過言ではなかった。 あっと言う間に、セミナーの当日がやって来た。会場で用いる機材の準備や会場の雰囲気について神経質になっていた。だが、筆者が心配するまでもなく、セミナーを開始する前から司会者や発表者の方々もお客さまもみな、とてもうちとけた雰囲気で語り合っておられた。筆者自身が発表した際には、質問の意味を理解しきれずに立ち往生してしまった。だが、他の発表者の方に質問を分かりやすい言葉で「翻訳」していただけたので、しどろもどろになりながらも何とか答えることができた。休憩時間には、発表時に交わされた質疑の続きのような話が続いていった。このようにして、セミナーの当日まで抱き続けていた諸々の不安はすべて杞憂に終わった。発表者の方々から今回のセミナーのテーマをさらに深化させた「続編」を日本で開催してほしいというリクエストをされたのは、主催者としては非常に嬉しかった。 セミナーの開催を通して得られたものは、研究者としての自信だけではなかった。当日に用事が入ってしまったために来られなかったものの、今回のセミナーの内容や筆者の研究内容に関心を持って下さった歴史学の先生方と後日会食する機会を得た。話題は実に多岐にわたった。その際に、20世紀初頭のチェコ人の芸術音楽におけるシレジア地方の描かれ方をチェコ人のナショナル・ヒストリーの枠組ではなく多民族社会における文物という観点から研究したいと話したところ、シレジア地方のポーランド人やドイツ人についての著書もあるご同僚を紹介していただけることになった。 セミナーの企画・運営に際しては、問題がなかった訳では決してない。最大の問題点は、聴衆が非常に少なかったことである。遠路はるばるお越しになった発表者の方々に対して、実に申し訳なかった。当たり前のことながら、単に会を企画して発表者と発表の題目を集めてから、複数のメーリング・リストへ情報を提供したり聴講していたセミナーで知り合った人たちへアナウンスしたりするだけでは、不十分だったのだ。今後こうした会議を組織する機会に恵まれた際には、さまざまな研究者に向けて会議の存在を効果的に周知徹底させる方法についても真剣に考えてゆきたい。 * 最後になったが、このようなまたとない貴重な体験をさせて下さった上に、煩雑な事務手続きを引き受けて下さったスラブ研究センターのみなさまと、専門とする学問分野がまったく異なるにもかかわらず快く受け入れて下さったロシア・ユーラシア研究センターのみなさまに対して、心からの謝意を表したい。また、オックスフォードへ派遣されていた第2期フェローの溝上宏美さん、そして同期フェローの青島陽子さんと花松泰倫さんにもまた、いろいろな面で本当にお世話になった。この場を借りて、感謝の言葉を記したい。 |
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