ITP International Training Program



ワークショップ「Origins, Emergence and Development of Russia's Multilateralism in the Asia-Pacific Region (1986 – 2012)」の組織を振り返って


加藤 美保子

(ITP第4期フェロー、派遣先:オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ)[→プロフィール




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 ITPフェローとしての派遣先での主要な課題は、研究会の組織、英文学術雑誌への投稿、および派遣国(地域)の権威ある学会で報告を行うこと、である。このなかで研究会の組織だけは受入機関の協力なしには進められない作業である。逆に考えてみると、これは受入機関のシステムを知り、自分の研究を通じてその機関に所属する研究者たちとの交流を深める絶好の機会でもある。しかしその一方で、英語圏への初めての留学で、小規模とは言えオーガナイザーとして国際会議を一人で取り仕切るのはかなりチャレンジングな試みである。筆者の場合は9月初頭から準備にとりかかったのだが、イギリス国内に全く人脈を持っていなかったため、確定しかけたプログラムを何度かリセットしなければならない状況に直面した。自分で組織する研究会とは、これまで自分が日本で行ってきた研究をどのような人たちの前で発表し、誰と一緒に議論したいのかを全て自分で設定できる場なのだと前向きに考えられるようになるまでにはいくつかの障害をクリアしなければならなかった。終わってから言えることは、与えられた課題をどのようにチャンスとして生かしていくかは自分のモチベーション次第だということである。

 以下では、研究会のテーマ設定からプログラムの確定・広報までの過程で気付いたこと、そしてワークショップを振り返っての感想について述べたい。



<Session 1>



 セント・アントニーズ・コレッジへの派遣者は、ITPの候補者となった後、ロシア・ユーラシア研究センター(以下、RESC)の所長宛てにCVと研究計画を送り、コレッジの「シニア・アソシエイト・メンバー」として形式的な審査を受ける。6月に入ってからすぐに送った研究計画の中で、私は研究会の構想について、「ロシア外交における多国間主義」というテーマで、(1)冷戦期のヨーロッパ・大西洋地域とアジア・太平洋地域の事例を検討するパネルと、(2)ソ連崩壊後のアジア太平洋政策を中ロ関係と多国間外交の2つの視点から議論するパネルで構成されるカンファレンスを行いたいと書いた。オックスフォードに到着する8月下旬まで、全てのやりとりはロシア内政が専門のポール・チェイスティ所長と行っており、研究会に関しては特にコメントが無かったため、私は出発前にセント・アントニーの卒業生である友人にアドバイスと報告のお願いをし始めていた。ところが、9月6日に約束していたチェイスティ所長との顔合わせの席で私を待っていたのはロシア外交を専門とするアレックス・プラウダ先生であった。プラウダ先生は私の研究計画に眼を通して下さっており、日程、形式、どのような研究者の報告が面白そうかまでご提案くださった。ここで、研究会の形式はパネリストと参加者の議論を重視した15-20人程度のワークショップがいいのではないかということになった。また日程は、コレッジに研究者や学生が集まっているタームの期間で、かつ私自身がオックスフォードの環境に慣れるのに必要な時間と、日本側の会計手続きが許すぎりぎりの日程を計算し、2月の上旬が良いということになった。当初お願いしていた報告者の予定と、ダーレンドルフ・ルーム(20~30人用)の予約状況から2月8日(水)に絞られた。セント・アントニーでイベントを企画する場合、規模が決まったら直ぐに、コレッジの“Accommodation & Conference”担当者と連絡を取り、会議室の予約状況を確認することが重要である。セント・アントニーズ・コレッジは8つの地域研究センターで構成され、各センターが週1回のペースで行うセミナーや、幾つかのクロス・センター・プログラムのイベントで会場は半年前から予約で埋まっていることも稀ではない。当初私は、外交実務に携わる報告者を招待する予定だったので、土日に近い金曜を希望していたのだが、9月の時点で1 – 3月の金曜日は全て予約が入っていた。また、1日中ダーレンドルフ・ルームを使用できるのは水曜日しかなかった。こうしてほぼ自動的に日程が決まってしまったのだが、これは後に、実務関係者を招待できなくなった要因の一つとなった。
 ここまではスムーズに決まったのだが、テーマに関しては再度構想を練り直す必要があった。これまで主にロシアのアジア・太平洋政策を勉強してきた私としては、歴史的視点からロシアの多国間外交を考えてみたかったので、ソ連期の多国間外交(とくにCSCE、国連)についてのイギリスの研究者の報告を聞きたかった。しかし、プラウダ先生は、二つのパネルともロシア(あるいはソ連)を扱うのはつまらない、現代のアジア太平洋地域におけるロシアと中国の多国間主義を比較してみるのが面白いのではないかと考えているようであった。この点に関しては報告者の顔触れに関わるので、その場では決まらなかった。結局、共催である以上パートナーのニーズに応えることも重要だと考え、時代(1986年以降)と地域(アジア・太平洋)を限定し、概説パネルとケース・スタディ・パネルを作り、ロシア研究者だけでなく、中国研究を専門としつつ中央アジア・東アジア情勢に目を配れる研究者を招待することにした。



 ワークショップの組織の過程でもっとも難航したのは報告者の選定である。報告者のうち、ロバート・レグボルド教授は、プラウダ先生がコンタクトをとって下さったおかげで、丁度2月上旬にミュンヘンにいらっしゃる予定であることが分かり、ワークショップの企画書と報告のお願いのメールを送るとすぐにご快諾下さった。レグボルド教授には企画書の曖昧な点について率直なコメントをいただき、報告を依頼する場合のテーマの詰め方について参考になるやり取りをさせていただいた。実際のワークショップのなかで触れられた通り、レグボルド教授は「ロシアのアジア・太平洋外交における多国間主義」というテーマの限界を認めつつ、私の提案したテーマに沿って、いくつかの重要な論点を提起してくださった。第1セッションでの同氏の報告および私のテーマ設定に対する教育的な厳しさを含むコメントからは、これまで情報を集めることを中心にしてきた自分の研究を、どうやって概念化していくかということについてのヒントをいただいたと思っている。
 話がそれてしまったが、当初お願いしていたレグボルド教授以外の報告者は、実務関係者と、シンクタンクで長く活躍されてきたイギリスの研究者の方であった。RESCで研究会を組織する場合は、オーガナイザーが報告者への報告依頼と旅費等の説明を行う(基本的に、会議室の予約以外は全てオーガナイザーの仕事である)。今思うと自分の経験の浅さが災いしたのだが、両者とも数カ月にわたるやりとりの末、最後の局面で辞退という形になった。大学に所属する研究者、シンクタンク系の研究者、実務関係者にはそれぞれ違った配慮が必要であり、それについての理解が足りなかったのが交渉決裂の原因だったと思う。外交研究のコミュニティがイギリスやアメリカほど重層的でない日本の研究者には非常に分かりにくいポイントであるが、両者とのシビアなやりとりの過程で気付かされたことは多い。この世界でやっていくならばもっと大人にならなければ、と感じた瞬間であった。
 こうして雲行きが怪しくなってきた11月末から12月にかけて、色々な偶然が重なってようやく報告者を確定することができた。中国の多国間主義に関する報告は、セント・アントニーのアジア・センターの研究者や、オックスフォードの中国外交研究者にコンタクトをとって地道に開拓していくしかなかったのだが、中国研究者にとってRESCのワークショップで報告を行うというのは論外だったようである。紹介の有無にかかわらず、報告依頼は軒並み断られた。オックスフォードでもインター・ディシプリナリー・プロジェクトという言葉をよく耳にするが、まだまだ専門地域間の壁は高いようである。結局、“Pacific Review”を発行しているウォーリック大学のアジア研究コミュニティとコンタクトをとり、ロシア語、中国語に堪能で、最近はBRICs諸国に関する授業を担当していらっしゃるピーター・フェルディナンド教授にたどりつくことができた。同氏は私が提案したテーマのなかで、中印露の三国関係を選ばれた。この時点ではどうしてもロシアの側の視点が強調されるプログラムであったため、もう一人中国研究者を探す必要があった。この時ちょうどサンチャゴの学会に参加されていた岩下先生に、CIS圏の事情にも通じている、英語圏の中国研究者がいないかうかがったところ、最近ダンディー大学で学位を取得されたクリストファー・レン氏をご紹介下さった。こうして、第2セッションの報告者が先に決定した。
 第1セッションの2番目の報告者には、ロシア側の視点から中ロの二国間・多国間関係を論じてもらうのがプログラムとして収まりがよいと考えていたのだが、ロシアのアジア政策を専門とする研究者が少ないイギリスで、都合のつく方を探すのは非常に難しかった。この頃偶然、ロイ・アリソン先生を通してセント・アントニーを訪問したいというご連絡を下さったのが、ロシア外交アカデミーのアレクサンドル・ルキン教授であった。ロシアの方の招待にはビザが必要であり、紆余曲折があったのだが、やはり中ロ関係、上海協力機構研究に通じているルキン教授に議論に加わっていただく方が盛り上がるのでは、という判断から報告をお願いすることになった。
 こうして当初のプランを大幅に変更し、アメリカ、ロシア、イギリスの研究者で構成されるプログラムが出来上がった。私は全体の組織と報告を両立する自信がなかったため、第2セッションの司会としてプログラムに入ろうと考えていたのだが、プログラムを眺めているうちに、ここで自分の報告をしないのはもったいないのではないかという気持になってきた。残された時間は少なかったのだが、幸い、RESCのポスドク仲間のハビエル・モラレス氏が代わりにチェアを引き受けて下さったので、思い切って自分も報告者に加わることにした。今になってみると、やはり報告をしておいて良かったと思う。私の報告は経験豊富なパネリストたちのなかで一番拙いものであったが、終わった後、参加者の一人からRESCではロシアのアジア・太平洋政策を扱うことがほとんどないから、1980年代後半以降をまとめてくれたあなたの報告は今回のワークショップに必要だった、というコメントをいただけてやっと安堵することができた。



<Session 2>



 オックスフォードでは三つのタームの間、どのコレッジやディパートメントでも常にイベントが行われている。そのため、イベントの広報はシステム化されており、各機関の担当者にプログラムを送るとメーリング・リスト(ML)とその機関のウェブサイトのe-カレンダーに掲載してもらうことができる。広報は最も重要なことの一つなのでプログラムが完成したらすぐこことここに送るように、とプラウダ先生に何度も念を押され、RESCだけでなくDepartment of Political Science、Asian Centre (St. Antony's)、Contemporary China Studies Programme (School of Interdisciplinary Area Studies) 等のMLを利用して広報をさせていただいた。プログラムが完成してからワークショップ当日まで1カ月しかなかったのだが、その間これらのe-カレンダーやMLを見て連絡を下さった方々の所属は、オックスフォードに限らず、ロンドン、ケンブリッジ、スイス、日本と実に多岐にわたった。イギリス国内においてロシアのアジア太平洋政策、あるいはユーラシアにおけるロシア外交というテーマを専門とする研究者は限られているため、必然的に研究者のネットワークが近隣諸国の英語使用者に広がっているのだろう。当日来られなくなった人も多いのだが、反響の範囲から、このワークショップはRESCとスラブ研究センターの支援があったからこそ実現したのだということを痛感した。そして、これからロシア外交研究を続けていくならば、日本のアカデミアだけでなく、英語圏の市場とコンタクトを持ち続ける努力をしなければずっと井の中の蛙であり続けるだろうことも改めて自覚した。この報告書を提出するのが遅くなってしまったが、その間今回のワークショップに呼ぶことができなかったモスクワのASEANセンターやAPECスタディ・センターの関係者に最近の動向をうかがう機会があった。そこで驚いたのは、彼らがこのワークショップのことを知っていたことである。ルキン教授がどこかで書いて下さったことも大きいと思うが、モスクワのアジア研究者たちですら英語圏の研究動向に非常に敏感であることを感じさせられた。彼らは私たちの議論に対してまた違った見方を持っており、東南アジアと朝鮮半島をカバーしていれば、ロシアのアジア外交におけるドメスティックな目的だけでなく、経済的な動機についてもっと議論できたであろうと思った。こうして色々な所で新たな反応が生まれるのもまた面白い経験であった。

 ワークショップの組織による個人的な成果は、英語圏で活動している同世代の研究者たちに出会えたことと、次に取り組むべき課題が明確になったことである。もちろん、反省点も多い。自分の報告に関しては、時間をかなりオーバーしてしまったし、持ち時間が30分と長かったため、内容を忘れないようにと作った読み上げ原稿をほとんど読んでしまうことになった。報告で「読むのではなく話す」、Q&Aで「報告者や質問者の意図を正確につかんで議論する」、司会で「場をつなぐ気のきいた一言をとっさに言えるようになる」等が今後の目標である。

 最後に、今回のワークショップは、インフォーマルなアドバイザーとして支えて下さったプラウダ先生、アリソン先生、そして第2セッションの司会を引き受けてくれたハビエル・モラレス、および多忙の合間を縫って私の報告の練習につきあってくれたスビトラーナ・チェルニフら、RESCの皆さんの協力がなければ成り立たなかった。この場を借りて、RESCの方々とスラブ研究センターのITPスタッフの皆さんに心から感謝申し上げます。(2012年3月11日)



(Update:2012.03.13)





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