ITP International Training Program



欧米への憧憬の念:第1回ラウンドテーブルの感想にかえて


佐藤 圭史

(ITP第4期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学ディヴィス・センター )[→プロフィール




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 「文明開化」を促したのは欧米文明への憧憬の念である。それは、さながら、早く大人になりたいと想う子供が、大人をまねようとする態度に似ているかのようだ。海外と接点を持った、一流の知識人であればあるほど憧れは強かったにちがいない。それは、明治末期、大正期に活躍した文芸作家の作品からも読み取れる。しかし、私たちの世代で、身を削り、資産を手放してでも、欧米へ渡航したいという人が、いったいどれだけいるだろうか。現代の日本では偏重した欧米志向は消えつつある。つまり、欧米がただひたすら羨望を向ける対象ではなくなった、ということである。これは、私たちが既に多くの知識を欧米から得たためだけでなく、日本の生活水準が十分に高くなったためかもしれない(金持ちに学ぶ価値を見出し、貧乏人にそうではない、というのは低俗といえようが、ある意味、避けがたい真理[心理]でもある)。このような豊かな環境に日本を導いてきた先人の底力を、私たちは心に留めておかなくてはならないだろう。
 一方で、物質的に満たされた現代を生きる私は、当時の知識人が惜しげもなく、時に、恥も外聞もなく見せた熱情を至極羨ましいと思うのである。その思いは異性への片思いのようにも思える。そして、出会いの多くは彼らにとって残酷であったかもしれない。相手から、蔑まれ、裏切られたかもしれない。しかし、それでも敢然と向かう姿に、私はことさら価値を見出すのである。強い憧れは、形式を問わず表現(表象)される。明治末期、大正期に文化・文明の原動力となった人間が生み出す感情のうねりに対して、私は、憧憬の念を抱くのである。


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 ラウンドテーブルの組織は若干の戸惑いを伴って始まった。当然のことながら、ラウンドテーブルのアイデアはITP応募時からあった。当初は英国での研究滞在を希望していたために、地の利を生かし、紛争問題で活躍している若手研究者を欧州全域から集めて、非承認国家問題について議論し合う、という企画を練っていた。しかし、研究会の方向性からして、ジャーナリスティックなものになることは避けられなかった。その後、派遣先が英国から米国へ変わり、頭に描いていた欧州から研究者を呼ぶ青写真は顕現に至らなかった。それだけでなく、ハーヴァードという特異な空間において、ジャーナリスティックな論調と研究は危険な橋を渡っていくような気がした。興味先行の企画によって、私を含めた派遣者、ひいては、スラブ研究センターの水準がこれによって測られてしまうのではないか、と一抹の不安をおぼえたのである。後に分かったが、この不安と軌道修正は正しかった。ディヴィスセンター側の運営者と話している間に、「新しい研究」という言葉を何度も聞かされた。彼らが求めていたのは、学術基準を十分に満たした斬新な理論研究であった。自分に興味があるから、という単純な理由付けでは済まされなかったのである。
 それならば、皆を驚かせるような研究会にしよう。聴取を驚かす芸をどうやったら仕込めるのか。大変な課題を自分自身に課したにもかかわらず、なぜだろうか、それをどこかで私は楽しんでいたのである。余裕があったからではない。このような機会はそうそう与えられるものではない、それならば自分の最高の状態を見せつけてやれ、という高揚感だろうか。ペーパーの作成も知らず知らずのうちに熱が籠った。8ページ程度の口頭用のワーキングペーパーが、あれこれと吟味しているうちに、いつのまにか28ページほどの「論文」に様変わりした。研究会の2週間前に、そのペーパーを、招待するシンシア=カプラン教授とディヴィド=スミス教授、そして、センターからのドミトリ=ゴーレンブルグ博士に送った。ラウンドテーブルのはずが、佐藤のやつは、研究会の趣旨を超えて過度に本気になっている(これは不意打ちに近いために、今後は「禁じ手」にするつもり)。このことが彼らの意欲を掻き立てたのか、義務化していなかったにもかかわらず、皆様から玉稿のご提出を頂くことになった。そしてペーパーの完成後、私はパワーポイント資料の作成に移った。どうすれば見やすいか、聴衆が頭を下げないか、わずらわしくないか、いままでの海外での経験を全て投入した。議長を据えたのに、開会と閉会のスピーチも準備し(結局未使用ではあったが)、ラウンドテーブル開催三日前には「やりつくした感」が自分を満たした。この時のオフィスから見えた景色を今でも鮮明に覚えている。米国を象徴するような広大な空は清々しさで澄み切っていた。


 ラウンドテーブルの時を向かえた。私の番は最後である。姿勢を正し準備完了。私のペーパーが配られた。議長を務めていただいたティモシー=コルトン教授にも事前に送っていたのだが、内容はまだ見ていないという。だが、それでいい。私の研究発表は、大衆が民族運動に駆り立てられるメカニズムにかんする分析・・・、であったはずである。タイトルを見る限りは。しかし、画面には数式、グラフ、ベン図・・・が次々と映し出された。いったい何の発表をしているのか、と戸惑うスライドばかりである。偶然通りかかった人が見れば、数学か何かの研究会だと思うかもしれない。聴衆が、「なんだ、いったい・・・」と目を丸くしているのが伺える。いや、しかし、民族問題にかんする研究発表に相違ない。それは佐藤の言っていることを聞けば分かる。ネィティヴでない「利点」を効果的に生かし、はっきりとした口調で単文的(短文的)に言葉を発していく。誰にでもわかる、いたって易しい表現である。強調したい表現、文の繋ぎとして強調の必要がない表現との間で緩急強弱をつける。発表を聞くだけでも十分に分かるが、ペーパーにはもっと詳しいこと(凄いこと)が書いてあるのだろう、と聴衆に思わせるトリックを発言の中に混ぜこんだ。ペーパー、発表、パワーポイントを三次元に構築することで「途方もなく深い研究に違いない」と思わせる。それが発表に仕込んだカラクリであった。20分という時間は短い。でも、方法次第で自分のことを語りつくすには、案外に十分な時間なのかもしれない。
 私の発表は万雷の拍手を持って迎えられた。議長を務めたコルトン教授から、開口一番「刺激的で、意欲をそそられる研究だ」との評価を頂いた。彼がどの程度人を褒める人物なのか私は知らないが、他の研究者が言うには「ほとんど見たことがない」という。もちろん、私が日本から派遣されてきた「お客さん」であったためでもあろう。それを差し引いても、当初の目的に沿った、皆を驚かす研究発表であったことに違いはないようだ。それは聴衆の表情と言葉から十分に察しがつく。自分が思い描いた形に全てが完結する、ということは実に稀な経験である。それが、ディヴィスセンターにて実現できたというのは、感無量としか言いようがない。残念ながら、それ以外に、今の私のお粗末な語彙力ではそのユーフォリアを表現することができない。



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 憧憬の念は様々な感情から生まれ、そして、様々な感情を派生させていく。尊敬、畏怖、脅威、嫉妬、羨望・・・。かつての時代を生きた日本の知識人は、そのような複雑な感情を欧米に向けていたことだろう。しかし、彼らの時代と私たちの時代では環境が大きく異なる。変わっていない所もあるだろうし、大きく変わった所もあるだろう。それゆえ、欧米に対する憧憬の念が、現代日本社会において異なった形として表象されるのは当然であるといえる。ただ忘れてならないのは、対象が何であれ、憧れの感情そのものが人間の心から無くなることはない、ということだ。このような感情を、どのような時代と環境であれ、文化の発展をもたらすものへと変換していければ良いのである。憧れは文化を創り出す力となりうるのだから。どこに意識を向けるかはその人による。私には私の方向性があるのだと思う。英語が完ぺきではない私たちが、欧米を私たちの「魅せる舞台」に転換することはできるだろう。それを進めるか止めるかは私たち次第なのだ。



(Update:2012.03.13)





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