1996年点検評価(抜粋)
センターへの評価と提言(1)
宇多文雄(上智大学)
私は1986年からセンターの共同研究員にしていただき、以後ほ
ぼ毎年夏のシンポジウムに参加することでセンターの活動に
触れてきた。とい
うよりも、もっぱらその恩恵に浴してきた、といった方が正確である。その間の個人的感想を率直に記すなら、センターはすばらしい研究組織であり、その活動
内容もじつに実り多い、ということである。センターのおかげで得た利益は数え切れない。
様々な分野からソ連(ロシア)・東欧を分析する、つまり専門は異なるが対象を一にする研究者たちが集まる機会というのはディシプリン別になっている学会
ではなかなか得にくい(もちろん例外はあるが)。その研究者たちが、自分のせまい領域の研究発表だけをするのではなく、共通のテーマに従った報告をして討
論をする、というのも参加者にとっては魅力的なことである。自分の専門領域だけにとかく偏り勝ちな日常の関心が、ここへ来ることによって硬さをほぐされ、
新鮮さを取り戻す、という印象を何回となくもったものである。センターの学際性を意識した企画が効を奏しているのであろう。
センターの活動は学際的であり、参加者は国際的である。世界各国から集まる専門家と直接意見を交換して受ける刺激は貴重なものである。ある企画に外国の
研究者も加わって討論をする、というのはわが国でもすでにあまり珍しいことではなくなった。しかしそれらは二国間交流にとどまる場合が多いし、「日米」あ
るいは「日ソ」のように大国との提携である場合が多い。また短期間のシンポジゥムでの接触には限界がある。センターの場合には長期滞在者、よそではなかな
か会えない研究者(たとえば中国や東欧諸国のロシア・ソ連研究者)、数カ国から来た専門家たちなどに同時に会える。そこには本格的な国際学術交流の場が生
まれることになり、外国での会合にそうしばしば行けるわけではない者にとって実にありがたい機会となる。
また情報センターとしてのセンターの意義も特筆に値する。センター図
書館のコレクションはわが国の他の場所にはない充実ぶりである。すぐれた司書サービスもあって、この図書室の恩恵に浴した研究者は多いであろう。
今後さらに電子化されたサービスも期待できるのは心強いことである。
センターのありがたみは重点領域研究の開始と中核的研究機関支援プ
ログラ
ムの適用によってさらに大きなものとなった。重点領域研究によって、参加できる研究者の数が格段に増え、貴重な資料やデータを集めることも可能になった。
中核的研究支援プログラムも様々な充実をもたらした。しかし活動範囲が広がり、内容が豊富かつ活発になるに従い、困難や問題点が多様化・深刻化するのも避
けられないようである。私は従来部外の受益者として恩恵をこうむることが多く、感謝の念を強くもつ者であるが、センターの一層の発展・改善を願って、与え
られたこの機会に特に気がかりな二、三の問題点を指摘したいと思う。
1. 研究支援体制
前回の点検評価書の中で学外評価者お二人(特に西村可明氏)が触れられていることではあるが、研究支援体制の弱さの克服は今回も最も緊急の課題のひとつ
としてあげるべきことのように思われる。センターが理念・使命として掲げる「(…)総合的な地域研究機関であり、かつ(…)学界を組織してゆくべき全国共
同利用施設である」(下線筆者)という規定に従って着々と活動を積み上げてきた結果、その内容と規模は国際的にも誇り得る水準に達した。また受益者の数も
増大し、それは日本国外にも広がっている。センターはその使命を果たしているわけであるが、それを支える体制はあまりにも弱いといわなければならない。
特に、センターのこれだけの活動規模に対して専任事務職員が図書担当を含めて3名しかいない、というのは異常であるといわざるを得ない。いかに有意義な
活動でも、それが関係者の並外れた献身によって支えられている、というのでは長続きしないであろう。現在は膨大な事務処理を必要とする重点領域研究がたけ
なわなだけに特にその感が強い。センターは単なるプロモーターではないはずである。所員が研究者として十分な研究成果を挙げることを期待されているのはい
うまでもない。しかし仮にも多忙のために所員の水準、見識、情報量などが低下するようなことがあれば、学界のプロモーション組織としても十分に機能しなく
なることを忘れてはならない。
国立の施設としての様々な制度上の規制や、部外者には測りきれない問題もあるのであろう。関係者も改善の努力を重ねておられることと思う。しかし諸行事
に参加した際に、所員が数え切れないほどの付帯業務に忙殺されている様子を拝見していると、もう少し何とかならないかという感に襲われる。私には具体的対
策を提案する能力がないが(点検評価書では様々な対応策が検討されている)、センターが積み上げてきた内容豊かな、貢献度の高い活動を維持し、さらに発展
させるためには、強力な研究支援体制の確立が絶対に不可欠であることを強調し、関係各方面のご尽力に期待したい。
2. 研究の継続性
上記のような問題があって所員のご苦労は大変なものであるが、重点領域研究に
よってもたらされた研究活動の広がりはすばらしい。これがすばらしいだけに、重点領域研究期間終了後のことが心配になる。もとよりこの補助は特定の領域に
限って重点的に与えられる特別なものなのだから、終了後も同じ水準を維持しようと考えるのは無謀であろう。しかしせっかく作り上げた有益な共同研究体制網
や、収集されたデータが十分に生かしきれない事態になるとしたら、あまりにも惜しいといわなければならない。重点領域研究によって共同研究の質と量は格段
に向上したのであるから、それを開始前の水準に戻すようなことがあってはならない。
重点領域研究開始以前から、センターは様々な共同研究を組織してきた。その多くは各種補助金によってまかなわれてきた。センターのような機関が各種補助
金を精力的に集めて活動の活発化に努力するのはある程度当然のことであり、今後も続けるべきであろう。しかし全国共同利用施設の名に恥じない活動を実質的
に行うに足る予算は十分なのであろうか。各方面で指摘されるようになってきていることであるが、組織・機関の活動が効果を上げるためには、施設や備品など
のハード面だけではなく、運用というソフト面の充実が必要である。たとえば共同研究員が少なくとも年に1度札幌に集まるための旅費などは、所員が格別の苦
労をして獲得する研究プロジェクト支援資金の補助を得なくても足りるようになっていれば、そのための労力が研究内容充実に向けられることになり、本来の活
動の質的向上が期待できるように思われる。また図書は購入するだけではなく、整理の上貸し出しに応じられるようになって初めて意味をもつ。そのための労働
力は確保されなければならない。
重点領域研究の指定によって得られる財産が、長い将来にわたって価値をもつ遺産となるよう、ご努力をお願いしたい。重点領域研究が終了していないのに
せっかちなようであるが、早めの対策が必要と思われる。
3. 後継者養成
センターの貢献もおおいにあずかって、わが国のロシア(ソ連)・東欧研究の水準は年々向上してきた。ある分野の研究水準を決める上できわめて重要なの
は、いうまでもなく教育活動である。この面では、従来のセンターは必ずしももてる力を発揮してこなかったように思われる。もちろんセンターは研究機関であ
り、その能力の大半を研究に注ぐのは当然であろう。また鈴川基金の運用や、最近では非常勤研究員制度などで、若手研究者の受け入れ、後継者養成の実績もあ
る。
しかし個々の所員の学識、その集合体としてのセンターの能力などを考えると、スラブ地域研究の大学院プログラムがないのはいかにも惜しい気がする。大部
分の大学院はディシプリンに
よって構成されており、地域研究のような学際的性格をもつ研究はしにくい。かなり大きな大学院の国際関係論専攻でも、ロシア(または東欧)研究者はいても
1、2名というのが実状である。アメリカではこれに似た状況を乗り切るために学部横断的な地域研究センターを作り、学部に散らばっている地域研究者をもう
ひとつの組織体で糾合するいわば二次元的なシステムを考え出した。残念ながらわが国ではこのようなシステムは存在しない。
またわが国学界の主流は伝統的にスラブ世界を軽視してきた傾向がある。したがって各分野でスラブ地域の研究を進めようとしても適当な環境が得られない状
態が長く続いた。最近ではかなり事態が改善されたが、スラブ研究者は多数の大学の多数の学部に散在しているだけ、という基本図式には変わりはない。そこで
センターにますます熱い期待が寄せられるわけである。教育が本格化すれば所員の負担はまた増大する恐れがあるし、制度的な難問も多々あるとは思うが、この
問題にもぜひ本格的に取り組んでいただきたいと思うものである。